市民ケーン
「市民ケーン」はなぜ映画史上最も偉大な作品なのか
「映画評論家が選ぶオールタイムベスト」や「最も偉大な映画BEST50」などで頻繁に1位に輝いている作品がある。
それが「市民ケーン」という映画である。
そこまで映画に詳しくない人であれば「市民ケーン?」はて?初めて聞いたな…
そんな印象をもつ人も多いだろう。
たしかに「市民ケーン」はそれ単体でアカデミー賞作品賞を受賞していなければ、監督であるオーソン・ウェルズも監督としてアカデミー賞受賞歴はない。(「市民ケーン」では脚本賞を受賞)。
しかしこのアカデミー賞を巡る事実にすら実は「市民ケーン」の偉大さ、あるいは悲しさが含まれていたりもするのだ。
今日は多くの映画関係者が歴史上最も重要な映画と捉える「市民ケーン」について書いていこう。
「市民ケーン」は1941年に公開されたアメリカ映画。監督はオーソン・ウェルズ。
出演には監督を兼任したオーソン・ウェルズ、ジョゼフ・コットン、ドロシー・カミンゴアなど。
冒頭に書いたように「市民ケーン」は長きにわたって名だたる映画関係者から史上ナンバーワンだと言われ続けている。
しかし正直に言うと現代人がこの映画を見た時、一体何をしてこの映画がそこまで評価されているか、というのは少し掴みづらい部分があるだろう。
なぜならこの映画、ストーリーに大きな起伏があるわけでもなければ、派手なアクションがあるわけでも、大どんでん返しがあるわけでもない。
ではどんなところがこの映画のすごいところなのか。
まずはこの映画での撮影手法がかつての映画では考えられないほど多くの珍しい技術を使っている点があげられる。
主に超クローズアップやパンフォーカス(様々なものにピントを合わせる技術)、超ロングテイクにモンタージュ、更にはローアングル撮影など、挙げ始めるとキリがないほどのテクニックがこの映画には使われている。
もちろん撮影技術の普及や、デジタル撮影が一般的になった今では普通の技術ではあるのだが、これを初めて見た観客からするととんでもない驚きがスクリーンに溢れていたのは想像するのが難しくはないだろう。
現在だって映画の撮影技術に驚かされることは少なくない。
例えばモンタージュを一つの例にとってみよう。
ウェルズ演じるケーンが最初に妻に迎えたエミリーとの朝食のシーン。
ここではまず初めに新婚当初の二人が仲良く隣に座り質素な食事を楽しむシーンが描かれる。
そして時を重ねるごとに彼らの食事はどんどん豪華になり、彼らの服装もどんどんリッチになる、しかし彼らの距離はどんどん遠くなり、会話もどんどん乾いたものとなっていく。遂には最後の晩餐のような長いテーブルの端と端に座り、全く会話のなくなった彼らの食事が映し出される。
オーソン・ウェルズはたったの2分にも満たないそのシーンの中に時の流れをギュッと凝縮して、彼ら夫婦の仲に亀裂が入り、それが修復不可能なものであることを表現したのだ。
更にはローアングルでの撮影を例にとってみよう。
ここではウェルズ演じるケーンをとることで、ケーンがどれだけ人を上から見ているのかということを表現している。
これを繰り返し見せることでケーンという人物の人間性を、セリフで語ることなく見せているのだ。
上記のモンタージュやローアングルでの人間関係表現や人物表現というのはこの映画の中での単なる一例に過ぎないが、この二つにしてみても現在の映画に今も使われている古典的な手法であり、オーソン・ウェルズと「市民ケーン」がどれだけ普遍的な技術を世に普及させたかが分かるだろう。
ただし以上は撮影技術的な部分ではあるので、それらが一般的になってしまっているという現実を前にするとなかなか「市民ケーン」の偉大さというものは伝わりづらいかもしれない。
なのでここからはお話的な部分と、それが作られた背景について書いていきたい。
一言で言うと「市民ケーン」は一般のアメリカ人がいわゆるアメリカン・ドリームを掴む話だ。
しかしその夢と引き換えに彼は大切な人々を失っていく。
望む夢を手にするために彼は親友を裏切り、愛する女を手にするために多くの人々を敵に回した。
最後には彼は一人になり、残ったのは金で雇っている仕様人と膨大な数の世界中の彫刻品や骨董品だけ。
友も、愛する人も、彼の前からは姿を消してしまう。
彼は最後にやっと自分が一人になった事に気づくのだが、その時にとる彼の行動、その虚しさはアメリカン・ドリームなど爪の先にも届かない一般の人々の胸にも深く突き刺さるものがある。
さて、この話どこかで聞いたことがないだろうか。
実はこれ、2010年にアカデミー賞ノミネートを果たした「ソーシャル・ネットワーク」と全く同じ話なのだ。
「ソーシャル・ネットワーク」はSNSの巨大産業facebookの創始者マーク・ザッカーバーグの半生をベースに作られた映画だが、この映画の最後でもマーク・ザッカーバーグは成功と引き換えに親友と愛していた恋人を失ってしまう。
そして自身の開発したSNSに通知が着ていないかと何度も何度も更新ボタンを押し続ける……というなんとも悲しい結末で終わる。
成功した者が最後には多くのものを失い、深い孤独に陥る。
その孤独な姿は凡人の我々にも共感できてしまう程に悲しく、そして切ない。
そんな具合に、まさに終わり方までそっくりなのだ。
おそらく監督であるデビッド・フィンチャーも「市民ケーン」から大きな影響を受けているだろう。
「ソーシャル・ネットワーク」が多くの人々に共感を与えたことからも分かるように、「市民ケーン」という映画はお話の面でも大きく普遍的な魅力を持っていることが分かってもらえると思う。
この二つの物語の共通点は「夢を手にした人間の渇き」である。
「市民ケーン」のケーンは新聞というアナログな手法で成功した人物、対する「ソーシャルネットワーク」のマーク・ザッカーバーグはSNSというデジタルの世界での成功者である。
一見正反対に見える両者だが、それら二つが描くのは「夢を手にした人間の渇き」なのだ。扱う人物が真逆であるからこそに「市民ケーン」の普遍性がより強く、濃く浮かび上がってくるのである。
さらに「ソーシャル・ネットワーク」が実在するSNS王であるマーク・ザッカーバーグをモデル(こちらは実名だが)にしているのと同じように、「市民ケーン」も実在の人物をモデルにしている。
ケーンのモデルとなったのはケーンと同じく当時新聞王と言われていたウィリアム・ランドルフ・ハーストという人物。
彼の略歴を辿るとまさにケーンの人生そのものであり、この「市民ケーン」は一種の告発的、風刺的映画でもあったのだ。
つまりは映画というエンターテインメントのコンテンツで社会性を前面に押し出している。
チャップリンやユダヤ系映画監督が社会的映画を作っていたという事実はもちろんあるが、民衆には見えていない、不可視な敵をこれほどまでに克明に描き、世の悪の法則を可視化させたという点も「市民ケーン」が現代にわたってまで評価されている大きな一因になっているだろう。
そしてそれを「夢を手にした人間の渇き」という普遍的な物語に描き、観客にある種の共感や教訓を与えるエンターテインメントに昇華させたのだ。
ここまでくるとあまたある映画の中でも「市民ケーン」が「最も偉大」「オールタイムベスト」と言われる所以が少しだけ見えてくるのではないだろうか。
ちなみにアカデミー賞を獲れなかったのはハーストという各業界に強い影響力を持つ人物をあからさまに揶揄し、敵に回したからであるとも言われている。
あまりに確信をついた内容そのものがアカデミー賞を逃す要因となってしまったのである。
映画というのは確かにそれ単体で楽しむことが出来るということがとても重要である。
しかし一つ一つの映画をつぶさに観察し、公開された時代の情勢を理解し、それらが影響を受けた作品、あるいは影響を与えた作品にまで遡ることで、一見しただけでは分からない魅力的な側面が浮かび上がってくる。
そうすることで映画を誰よりも楽しむことができ、映画から多くのことを学び、多くのことを感じることが出来るのではないかと、筆者は常々考えている。
映画史上最大の傑作と名高い「市民ケーン」を多くの人に、たくさんの視点から楽しんいただきたい。
あ、ちなみにこの映画の中で象徴的に出てくる「薔薇のつぼみ」
これが一体なんなのか、それを軸に何度も見たり、色々と調べてみるのもまた面白い。
実はオーソン・ウェルズという人、こうした詩的な言葉を映画によく使う人で、その多くが意味のないことではなく、かなり考え込まれて配置されていることが多いのだ。
こうした大きな「謎」を残したことも、この映画が現代に語り継がれている理由なのかもしれない。
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