黒澤明が持つエンターテイメント性と思想性について 世間一般の間違った見解

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映画は語るものではない

映画批評なんてやっぱりくだらないものだと思う。

 

テレビのコメンテーターと同じように、舞台に立つ恐怖やプレッシャーも知らずに、一丁前のことらしきことを言って自分に酔うのが映画批評。

 

ロックのジャーナリズムもそんな感じ。

 

今回紹介する高橋実という批評家?もいろいろと言っているが、結局、映画は観て個人か感じたものがその個人にとって全てであってそれ以上でもそれ以下でもない。

 

やっぱり、映画は語るものではないのである。

 

と、このサイトを全否定することを自ら言っておきましょう 笑。でもこれが真実なのですから。

 

以下 高橋実氏による黒澤明論 
河出書房新社発行 「黒澤明 生誕100年総特集」より抜粋

 

真実の黒澤明

『週刊朝日』9月25日号を見て、棒映画評論家が「黒澤監督はエンターテイメントというものをとことん追求した人だと思う」と書いてあったのを見て呆れた。

 

この言は、論理や理性ではなく感性に重きを置いた大胆な発言で一般の支持を得る批評家らしい発言といえばそれまでだが、そえゆえにこの意見は最大公約数の映画ファンの声を集約したものと思われ、ただの身も蓋もない愚見として放置できない。

 

おそらく彼いや彼らの頭にあったのは『七人の侍』や『用心棒』のような時代劇群だったろう。

 

というのは黒澤の現代劇で「エンターテイメントというものをとことん追求した」とおぼしき作品は皆無なのだ。

 

しかし、考えてみてほしい。彼の30本の作品の中で時代劇は『姿三四郎』という準時代劇を含めてもせいぜい13本程度なのだ。

 

黒澤が残り17本の中で追及したこととは現代の社会問題であり、それに対する彼自身のメッセージ、いや、注釈であり、

 

その過程でいかに面白くそれを展開できるかと留意したにせよ、それだけをとことん追求することはなかった。

 

こんなエピソードがある。

 

黒澤は東宝に促されて初めて自身のプロダクションを旗揚げした時、「いきなり娯楽映画をつくったら失礼だから」という理由で、社会派の『悪い奴ほどよく眠る』を作り興行的・批評的に失敗を喫したという。

 

その後、黒澤プロ第2作としてエンターテイメントの『用心棒』を撮って成功を収めている。

 

そかし、この時代劇でさえエンターテイメントをとことん追求したわけではない。

 

私見でいえば『用心棒』に続く『椿三十郎』もその注釈は現在に向けられている。

 

相争う2つの組織が壊滅しる様を描いた前者は、かつて東宝争議で辛酸を甞めた黒澤にとっては双方が愚かに見えただろう労働争議の暗喩であり、

 

腐った幕政に異議申し立てをする若侍の姿を描いた後者は、観念ばかりが先走り、戦略の欠如する学生運動のそれだ。

 

さらに言えば、直後の現代劇『天国と地獄』は左翼運動の挫折と権力の悪意を描いたものなのだが、この2本の時代劇において前者を崩壊に後者を勝利に導くのが「名無しの男」である。

 

彼には名がないのは当然である。彼は黒澤自身なのだから。

 

仮に黒澤明という映画作家が何かを追求したいというならば、それは現代における社会問題だ。

 

かくも黒澤明は誤解されていた。いや、今も誤解されている。それも多くは心ある観客によって。

 

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思想なき黒澤明

1999年9月6日、黒澤明は没した。

 

その死を考えると唖然とするしかない。88歳の死を生きていらば作られたかもしれない映画群に想いを馳せてのことではない。

 

彼の生の間に死んだ人たちを思って唖然としたのである。

 

作曲家早坂文雄、武満徹、俳優三船敏郎、志村喬、脚本家菊島隆三、井手雅人、助監督加藤泰、森谷司郎。

 

いずれも彼の年に満たないまま、中には志半ばにして倒れていったものもいる。

 

彼より20年以上若い、70年代に全盛期を迎えた神代辰巳と藤田敏八の死の印象が強いのもその意を強くする。

 

黒澤明は勝者として生まれ勝者として死んだのだ。彼ほど悲劇の似合わない男はいないと。

 

私にとって黒澤明という名前は長い間、何の感興ももたらさなかった。ある意味で彼は空気のようなものだった。

 

彼が開発しあ映画技法、例えば太陽にキャメラを向けたとかアクション・シーンを望遠で撮ったとかは既に一般に還元されていて当たり前の手法になっていたし、
彼が『七人の侍』で用いた、落ちこぼれを何人かテストして集めて目標を定め、予行練習をし実践となるというパターンは、

 

たびたび欧米のアクション映画で見られるなど、簡単に伝播するほど普遍性に満ちていた。

 

先の「エンターテイメントをとことん追求した」という言葉を修正するとこうなる。

 

「物語が持つ可能性をとことん追求し、それを実に豊かな映画言語を用いて物語った。」

 

ある意味で黒澤は神のような存在だった。
それはもちろん映画の神だ。

 

彼はある物語や題材を得た時、それをありとあらゆる映画技法をもって膨らませ、発展させようとする。

 

それがまさに映画の神が乗り移ったかのように過不足がなく、適切なのだ。まるでその物語にオリジナルがこれなのだと言わんばかりに。

 

例えば、ロバート・アルドリッチの第二次世界大戦を舞台にした『七人の侍』と同一のプロットを持つ『特攻大作戦』という作品がある。

 

この中で落ちこぼれ兵は軍の犯罪者たちであり、彼らの目標はナチス幹部たちの大量虐殺だ。

 

実践で彼らがとった方法とは、舞踏会の最中にナチたちを慰問する女性たちもろともホールに閉じ込め、天井から下にガソリンをぶちまけて全員を焼死させるのだ。

 

まるでナチが強制収容所でユダヤ人にしたように。ここには明かに過剰さがある。

 

だからそこには作り手の思想、メッセージが見えてくる。

 

『七人の侍』同様、彼の代表作とされる『生きる』。

 

この物語は現代社会でもっとも退屈で人間性の薄い役所という機関に勤めていた男が自らの死期を悟ることにより、まるで人が変わったかのようにひとつの有益な、しかしささやかな仕事を成し遂げるというものだ。

 

この物語はなるほど感動的なものだが、そこには実存主義的んば人生観が感じられるだけで何のメッセージも感じられない。

 

人は必ず死ぬのだから、それを意識して一生懸命に自分の仕事に励みなさいというのでは単なる説教である。

 

あるいはこれは官僚主義を批判したものであろうか。

 

だが、官僚制度の欠陥は古今東西変わらずの問題であるし、

 

この物語ではまた息子夫婦を通じて無理解なその時代に日本人の批判もしているせいで、批判の方向性が定まらない。

 

そもそも社会問題を提起するということはなんらかの具体性を持たねば機能せず、何ものも撃つとこはできないのだ。

 

ただし、この物語が一人の英雄を描くためdけの物語であり、後はただひたすらその効果を上げるための舞台装置にすぎないと考えれば納得できる。

 

現に後半、主人公が姿を消して彼の成し得たことを生き残ったものたちが語り合い、その伝説性を高めるという技法は『コナン・ザ・グレート』『マッドマックス』の例を引くまでもなく昔からおなじみなものだ。

 

しかし、思い出させる限りでは黒澤ほどそれを鮮やかにやって見せた例は滅多にない。

 

また『生きものの記録』は原爆の恐怖に怯えた老人が家族を安全なブラジルに移住させようとし、

 

その過程で戦後の大家族制の崩壊を見せてしまうというアイデアには驚嘆させられるしかない。

 

しかし、最後にその家族だけ救えばいいという行為が、実は偏狭なエゴイズムに過ぎなかったことを悟った主人公が狂気に陥るというのでは何のメッセージにもならない。

 

その同じ論理を原爆所有国に突き付けなければならないのだ。黒澤が放ったのはメッセージではなく、注釈だ。

 

黒澤が好んだ技法に対位法というものがある。

 

対照的な2つの要素をぶつけることにより、その効果を際立たせるものだ。

 

つまり彼の映画には極端な2つの要素しかない。

 

非常に力強い表現は可能だが、微妙な表現はできない。

 

視点も単視眼的である。だからこそ彼は複数の脚本家を集わせ脚本を書いた。複視眼的にするためだ。

 

しかし、それでも黒澤の本質は変えられなかった。それは彼の世界観そのものだったからだ。

 

黒澤には少人数の侍が弱い大人数の農民を守り導き、ついには「勝ったのは百姓たちだ」と言わせ得た『七人の侍』のような作品がありながら、

 

『隠し砦の三悪人』では百姓が侍大将にさんざん利用され、彼らを救ってさえやったのに、何の絆も結ぶこともなく結局はほんのはした金だけをつかまされて放り出されるという作品もある。

 

黒澤明には思想というものがなかったのだと思う。

 

大島渚のような激烈なメッセージや、今村昌平のような大衆性に眼を向けた揺るぎない視座のようなものはまるでなかった。

 

ただし彼には独特の世界観のようなものはあった。

 

黒澤明の映画世界に潜んでいるのは強いものと弱いものだけだ。

 

それ以外の価値観は黒澤にとって慮外だった。

 

黒澤映画の中で珍しく主人公が勝者になれなかった『悪い奴ほどよく眠る』の中で彼は腐敗した権力者という悪を描こうとした。

 

しかし、その試みに彼は敗れた。それは彼の辞書に悪という文字がなかったためである。

 

善とは強いものであり、悪とは弱いものである。
だから強いものは弱いものを悪にならないように導いてやらなければならない。

 

しかし、強者はほんの一握りであり、大部分の人々は弱者なのである。

 

だから黒澤映画の構造は一部のエリートが多数の大衆を救済するというような単純な形になる。

 

黒澤映画の強者の美学はまた彼の好む師と弟子というパターンで表現されている。

 

青二才である弟子の存在によって偉大な師の行動の意味は説明され賞賛される。

 

やがて彼の存在は継承されるという安心付きで。

 

この弟子の存在は決して弱者でも、強者との仲介役でもなく、たんの強者の予備軍なのだ。

 

黒澤明には力に憧れを持ち続けた。いや、現実でも彼の存在は強さそのものだったから。

 

彼の映画の中の力を持つ存在とは彼自身であった。

 

黒澤映画の最大の魅力は力のあるものが何の遠慮もなくその力を行使しるその快感であり、彼らの発散する美学であり、その誇張されたマチズモの醸し出す余裕でありユーモアにある。

 

ところでわたしは女性が黒澤作品のい魅力について語る文章というものをほとんど見たことがない。

 

もし、半分の人間に熱狂的に支持されても、残り半分に見向きもされないとなればこれはかなり悲惨なことだろう。

 

これらの要素はまかり間違えば、愚民観やファシズムといった危険な傾向に行きかねない。しかし、そのことは他ならぬ黒澤自身がよく知っていた。

 

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