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転落のはじまりは『暴走機関車』
『赤ひげ』を撮ったのが55歳。そのあとの15年間、黒澤は思うように映画を撮らせて貰えなかった。
黒澤明はとても運に恵まれた映画作家だとは思うのですが、ひとつ、ついてないところがあるとしたら、この55歳から70歳の一番監督して脂の乗り切った時期に作品を出せなかったことでしょう。
60歳の時に『どですかでん』、65歳の時にソ連に渡って『デルス・ウザーラ』。それまで毎年のように映画を作っていた黒澤がこの15年間は2本だけという結果に終わってしまった。
黒澤明の人生の中で一番辛かった時かもしれません。その始まりは『暴走機関車』という企画からだった。
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黒澤脚本VSハリウッド流脚本
映画監督であり評論家である原田眞人氏の『暴走機関車』評論が以下だ。
『赤ひげ』の後、クロサワはハリウッドを意識していた。
一足早く三船が「世界のミフネ」として海外で活躍している事実も拍車をかけた。
『暴走機関車』は黒澤が絶えず意識してきたアメリカ映画への、キャリアの集大成といった挑戦状であり、その気迫にふさわしい映画史の傑作となるはずだった。
それがなぜ頓挫して、ついにはアンドレイ・コンチャロフスキーの白鯨風冒険アクションに堕してしまったのか。
結論から言えば、『暴走機関車』がハリウッド発の名作となる可能性があったのは、製作にジョセフ・E・レヴィンが絡み、シドニー・キャロルが脚色し、主役にヘンリー・フォンダが名乗りをあげたときである。
これをクロサワが受け入れなかった。脚色に不満があったのだ。
フォンダの役は暴走を阻止するために次々と秘策を繰り出す鉄道安全管理のディスパッチャー、フランク・バーストゥである。
この役にキャロルは入れ込み過ぎた。オリジナル脚本にはない「幻想」を足してしまったのだ。
フランクのイメージの中で、暴走する機関車は自由を求めて疾走する白馬に重ね合わされたのである。
たびたび挿入されるこの「下世話」なフラッシュイメージにクロサワは激怒した。「あんなもん、みっともないよ」と。
後年、僕がそのことを訪ねた時も、黒澤監督は20年前の不愉快を思い出して、一言で斬って捨てた。
不用意に馬を使われたことに対する怒りも加味されていたように思う。
馬のスペシャリストでもある黒澤監督に、彼が描いてもいない「白馬」を足してしまったのは、確かにキャロルの不注意であったかもしれない。
コンチャロフスキー演出への嫌悪
コンチャロフスキーの映画化作品への嫌悪はもっと強かった。
機関車を暴走させてしまう脱獄因2人を、刑務所内部でのエピソードからから描いてしまったことにひどく腹を立てていた。
「必要ないんだよ、あんなものは。機関車が動き出して映画が動くんだから。」
キャロルの脚本の場合、白馬インサートは確かに勇み足であったにせよ、今となってみると、これはヘンリー・フォンダの要求であったようにも思える。
それも、当時の大スターのエゴといったものではなく、役を掴むために必要なひとつのとっかかりとして脚本家に頼み込んだものではないだろうか。
いづれにせよ、監督にゆとりがあれば、話し合いで解決できるはずだった。これは甘い観測でもなんでもない。
1973年以降、ハリウッドのシステムを観察し、ロスで生活することでシステム侵入を謀っている僕の、体験に基づく観測である。
脚色に対する意見の相違があったところで、フォンダを味方につければ、如何様にでも難局を処理できたのである。
しかもフォンダはハリウッドでも有数のクロサワファンであった。クロサワ映画に主演を張ることに、無上の喜びを感じていたのである。
白馬インサートに固執していたとしても、監督の意図を伝えることで懇意したはずだ。
もし脚本家や製作者がそのインサートに固執していたとするなら、監督の意図のい代弁者となって、彼らの過ちを是正したはずである。
僕自身、ヘンリー・フォンダがミフネの両手を握りしめ、いかにクロサワ映画のファンであり、ミフネのファンであるか、共演できたこを誇りに思っているか、誠意と知性にあふれたまなざしで熱っぽく語りかけた現場に居合わせたことがある。
そのようなフォンダを、クロサワが使いこなせなかったことは不幸である。
ハリウッド版の脚本の方が優れていた
僕は黒澤・小国・菊島によるオリジナル脚本と、その翻訳版、そしてシドニー・キャロル稿を読み比べたことがある。
掛け値なしに優れているのは、キャロル稿だ。
オリジナルはそれはそれで素晴らしいものだが、最大の難点は日本人作家たちが、作り上げたアメリカ人像にあった。
暴走機関車に乗り込む脱獄因2人の主従関係では「アンクルトムの小屋」以降使い古されたパターンであり、囚人としてのリアリティにも欠けていた。
しかも、2人が口を開くとスタインベックの「20日鼠と人間」になってしまう。
いくら黒人が最後にヒロイックに自立する話といえ、これではアメリカ人観客の失笑を買ってしまう。
この2人にディスパッチャーの2人が絡んで主役フループを形成し、隠し玉として、「砂まき係」のチャーリーが加わる。
こちらのふたりはセリフを洗練すればそのまま使えそうなリサーチの成果が見られた。
つまり、出発点としては間違っていない脚本だが、完成品ではなかった。
その翻訳稿となると、あくまで翻訳があって脚本の生命線であるダイローグがまったく機能していない。
翻訳家は脚本ではないのだから、これは当たり前のことなのだ。
それゆえ、アメリカ側は翻訳稿を出発点として、映画脚本を完成する作業に入ったの訳である。
しかし、クロサワは翻訳稿が限りなくゴールに近いものと考えていたようである。
シドニー・キャロルの脚本は、構成的にはほぼオリジナルの流れを踏襲している。
確かに白馬のインサートなど入り、「解説」的側面が目立たなくもないが、スタインベック臭も薄められて、ダイアログが文句なし。
製作のレヴィンもフォンダも、予想以上の出来に喜んだのではないだろうか。
それにクレームをつける以上、日本側はしっかりとした論点を構築する必要があった。
そこが日本で数々の名作を放ち続け絶頂期にあった黒澤明が見極められなかったものではないだろうか。
※河出書房新社 生誕100年総特集 黒澤明 永久保存版より
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