黒澤明は画家を夢見ていたが、絵では食っていけないと感じていた。
また兄丙午の死によって、長男のような責任も感じ始めていた。
とにかく父母を安心させたいという一心で後の東宝にあたるP・C・L映画製作所の助監督公募の広告をみて応募する。
その時の面接官が後の師匠となる山本嘉次郎であった。
その山本嘉次郎が弟子の黒澤明について語ったのが以下である。
いまフランスの評論家が『黒澤明論』を書き始めている。
その評論家はチャップリン、アントニオーニその他、世界的な映画人の評論を数冊出版している。
そのあいだ人を派して、わたしの黒澤君のことをいろいろ聞きに来た。私は思い出すままにその人に語った。
黒澤君が東宝に入社したのは、確か昭和12年だった。
そして監督になって『姿三四郎』を発表したのは昭和17年である。
助監督わずか5年、映画界では異常のスピードである。
黒澤君の入社の選考試験にはわたしも加わった。
試験といっても面接で口頭試問だけである。それまでは助監督を採用するには、会社側の人達だけでやる。
そのため、どうかと思われる人も入ってきた
。現場にあって実際に接触する監督に選ばしてもらいたいという、私たちの意見が通って、私に試問に立ち会うことになった。
黒澤君の第一印象は、春風のように温かく柔和な外面に、なにかゴツンとした強い芯をくるんでいる感じであった。
聞くと、洋画家を目指していたが、絵では飯が食えないというので映画に転じるのだと答えた。
私はすこし意地悪く、それなら飯せ食えたら絵の方がいいのですか?と聞き返した。
すると黒澤君は「いや、絵だって映画だって同じです。」と答えた。
私はその一芸に達した達人のように、自信に満ちた言葉に打たれて会社に是非採用しるようにと進言した。
それから人事課の人と一門一答が行われた。
「月給はいくらぐらいを希望しますか?」
こんなバカな質問はないが、黒澤君はすぐに切り返した。
「いくらくれるつもりですか?」
これを聞いてなかなか苦労をした人だと思った。
「たいして出せませんが」と言うと
黒澤君は「なるべく多いほどいいです」と言って、顔をポォーッと赤くしたのが今でも目に残っている。
あとで聞いた話では、そのときは食えなくては大変だと真剣に思っていたそうでである。
絵では食えず、婦人雑誌の料理記事のナスやサバなどの説明図を描いてかろうじて食っていたという。
彼はグリコの商標のい懸賞に応募したが、幸か不幸か一等にはなれなかった。
でもよかったです。一等にならなくて。どこを見ても自分のマークが出ていたらやりきれませんものと彼は言っていた。
その後、彼は私の助監督についたが、私とは実によく話があった。
他の助監督は、映画一点張りの映画青年ばかりなのに引きかえ、油絵はもちろんのこと、日本に古い絵もよく理解していた。
また新劇よく見ていてが能もよく見ていた。
音楽はベートーベン、文学はドストエフスキーとバルザック、そして相撲と野球に詳しかった。
しかし、それがすべて彼独自の見解で把握されていて、その意見には天才的な真実の追求があった。
絵だって映画だって同じだと言った彼の言葉は偽りではなかった。
※河出書房新社 生誕100年総特集 黒澤明 永久保存版より
映画以外にも精通していた黒澤。兄丙午の影響は大きいと思うが、それを独自の見解で昇華していったことが、後の世界のクロサワに繋がったのでしょう。
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