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三船敏郎の殺陣の凄さ
三船敏郎は「男のくせにツラで飯うぃ食うのは好きではない」と俳優業を嫌がっていた面があったが、いざ役を与えられたときには、骨身を削るほどの努力で監督の期待に応えようとした。
撮影前にセリフを全ておぼえることなど、彼にとっては当然のとこであり、その努力は現代劇、時代劇に関係がなかった。『羅生門』にはじまり、『七人の侍』『隠し砦の三悪人』、そして『用心棒』へとつながる時代劇の迫力ある殺陣は、三船敏郎の代名詞であり、世界中のファンを魅了した。
このリアルで迫力ある殺陣があってこそ、三船は”世界のミフネ”になり得たのかもしれない。
しかし、三船の殺陣はなぜそれほどまでに魅力的だったのか。それもまた自らが研究、努力して作りだしたものだった。
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殺陣師 宇仁貫三
最初は居合いから入られたと思います。成城のお宅では日本刀をなん振りが持っておられましたし、居合い刀も持っておられました。
そう語るのは72歳の今も映画やテレビなどで活躍している殺陣師の宇仁貫三である。宇仁は20代で宝塚映画にいたときに三船と知り合い、のちに三船プロの所属となった。
黒澤映画に欠かせなかった殺陣師、久世竜の弟子にあたる。また、独立のちも三船と仕事を共にし、晩年まで側にいた人物である。
宇仁の回想コメントを中心に三船敏郎の殺陣を振り返ってみましょう。
三船の殺陣は独学?
ご自宅に伺ったときに気付いたんですが、庭の芝生で土が見えているところが数か所あったので、三船さんが殺陣の練習で、瞬発力をつけるために素足で蹴られたとか、練習なさった跡だろうと想像しました。
特にどなたか先生について学んだというわけではなく、ご自身で研究なさって、ご自分で研究なさって、ご自身の殺陣の形、動きを作られたのではないかと思います。
あとは現場ですよね。『柳生武芸帳』とか『宮本武蔵』には、香取新道流の剣道のい先生で杉野嘉男さんが付いておられた。三船さんはその杉野嘉男さんの形を見ていて、勉強されたんでしょう。
久世さんが殺陣をつけるようになったのは『隠し砦の三悪人』からです。
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三船に救ってもらった宇仁
宇仁は「三船さんには今でも足を向けて寝れないです」と語る。2人の間には、三船プロの社員たちとは、また異なる歴史があった。
僕は身体が小さいけど、なんとかして黒澤組に出たいな、と憧れ願っていたんです。
あの当時は身長が高いか、ずんぐりしてるか、いかついとか、とにかくアクが強くなければ、斬られ役には入られませんでしたから。
『用心棒』のときには、小柄だからという理由で西村晃さんの吹き替えをやっていました。でも『椿三十郎』の撮影で久世さんが「おまえ小さいけど、扮装させて(切られ役)人数に入れておくから、一度頑張ってやってみろよ」と言ってくれたんです。
それで、いよいよ三船さんに絡むシーンになり、立ち回りにのリハーサルがこれから始まるというときになって、黒澤監督が「ちょっとまて」と出てこられて、僕の顔を見て「こんな可愛い坊や、切れないよ」とおっしゃったんです。
宇仁な小柄なだけでなく、顔は童顔で、造形も整っている。
そんな人間が斬られ役に混じっていたのでは、斬り殺す方が残酷に見えてしまう。だからこそ、黒澤はストップをかけたのでしょう。
そのとき、三船さんがぐぐっと前に出てこられて、黒澤監督に『やらせてみなければわからないでしょう。一回、見てやってください』と仰ったんです。
監督には『大丈夫か本当に』と言われたけど、とにかく、うちの師匠が殺陣の振りをつけ、立ち回りのリハーサルが始まりました。
他の皆は一太刀で切られるんですけど、僕の場合は一回投げ飛ばされて、また立ち上がってバサッと斬られるという殺陣やったんですよ。
そのときは、俺は黒澤組に入れるのかなぁ、これでダメだったらもう辞めてしまおうか、なんて思い詰めるほど、賭けていました。
リハーサルがひと段落して一旦休憩に入ったとき、黒澤が宇仁の方に向かって歩いてきた。周りには20人ぐらいの斬られ役がいて、宇仁は「やっぱり俺はダメだったんだ」と肩を落とした。
そしたら監督は僕に向かって「入っていいぞ」と一言仰ったんです。
僕はありがとうございます!って叫んで、あの時は本当にうれしくて涙が出ました。
それでさりげなく三船さんの方を見たら、僕に頷いて笑いながら出て行かれましたけどね。
三船さんの一言がなければ、僕は黒澤組には入れなかったし、殺陣師になるのを辞めていたかもしれない。
以後の宇仁は三船の映画の現場にたびたび呼ばれ、時代劇、源田茂樹に拘らず絡み役になった。
三船から「俺のところへこないか」と誘われたのは『赤ひげ』が終わったあとだったという。
宇仁は「喜んでいかせていただきます」と答え、三船プロの専属となった。
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三船敏郎の殺陣の特徴とは?
三船さんの殺陣の特徴は、迫力とあの眼光ですね。
異様なほどの目の鋭さで、斬るときはガーッっと向かってきますから。久世さんからは「斬られにいくな。斬りに行け」と教えられていたんですけど、三船さんの迫力に負けてしまって、斬りにいけないんですよ。押されて下がったら、倍返ってきましたからね。
立ちまわりでは、刀でバシッと、生身の体に当ててきます。体に当てて、その反動で次の相手を斬るのです。
それまでの時代劇のように、形だけではやっていません。だからこそ、迫力がです。僕らは撮影のあとで全身を眺めて、今日は背中に何本、脇に何本ミミズばれが入ってるとか、数えていました。
三船の殺陣の迫力については『蜘蛛巣城』で共演した俳優・加藤武も新聞社のインタビューに応じて語っている。
加藤は、蜘蛛巣城の主を守る警護の役で、三船が演じる鷲津武時が主にとって代わろうとするとき、その陰謀に巻き込まれて刺し殺される役だった。加藤は武時の妻(山田五十鈴)にしびれ酒を飲まされ、血まみれの槍を持たされて、君主殺しの汚名を着せられる。
痺れて動けない僕に向かって満面髭面の三船さんが、ギョロッと目をむいて突進してくる迫力と恐ろしさに圧倒されてしまいました。
鎧武者を刺すには腋の下がいいだろうと安全のために、腋の下に木片をあてがわれていました。
いざ本番では、三船さんが力任せに突いた刀先が木を外れて生身に突き刺さってしまったからたまりません。
ワーッと悲鳴をあげて、僕は寒暖を転げ落ちてしまいました。まさに捨て身の演技でした。
加藤武はこのとき、黒澤映画には初出演だった。憧れの黒澤作品に出演できるのならと喜んでいたのだが、いきなり三船の鬼気迫る殺陣に接してしまい、仰天の体験となった。
殺陣師を気にかける三船
激しい立ち回りをしたあとは、斬られ役の身体がどうなっているのかを気にかけていたという。
自分が思う存分に演技ができるのは、裏方の人たちが居てのことだという思いを、生涯持ち続け、その時々で、気持ちの表出の仕方は異なったが、あくまでさりげなく、相手に恩をきせないように振舞った。
例えば、黒澤作品で立ち回りのリハーサルを何度も繰り返していると、たまにお互いが近づき過ぎてしまって、怪我することがよくあるんです。
そういうときは、三船さんはちゃんと分かっていて、撮影後に「貫ちゃん、今日は皆で元気をつけてこいよ」と言って、お小遣いを下さったりしました。
そういう気遣いが凄かったですね。あれほどの大スターが僕なんかに気を遣ってくださって、感謝、感謝という気持ちでした。
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『隠し砦の三悪人』の騎馬シーン
また黒澤作品の中でも語り草になっているのが『隠し砦の三悪人』の中で、三船が逃げていく騎馬武者3人を始末するために、馬で追いかけるシーンだ。
三船が演じた真壁六郎太は、山中の道で、背筋を伸ばした状態で刀を両手で握り、姿勢を崩すことなく、馬を疾走させる。いわゆる八双の構えである。そうして二人を斬り捨て、最後の一人を追って敵陣に乗り込んでいく。
素人目に見ても、見事はな乗馬技術だと分かる。
あれはまず、他の俳優さんではマネできないですよ。
手綱は持たず、巻き付けているだけで、脚の絞め方、つまり膝の内側だけで制御してるんです。
いつも黒澤監督のキャメラは二台。寄りと引きとで、キャメラが縦に並ぶか、横に並ぶかの撮影ですから。
三船さんの乗馬シーンはすべて吹き替えなしです。
宇仁は三船の乗馬は「上手過ぎるほど上手い」と絶賛する。周りの俳優も、自分たち殺陣やスタントマンももついていけないという。
かなり傾斜がある坂を50人くらいで駆け降りるようなときは、三船さんがトップを切って降りておられましたけど、周りはそこまでの技術を持ってなくて、落馬者が続出するんです。
それを何度も繰り返すので、太腿の皮膚が裂けてしまい、痛くて仕方ない。脱脂綿を太腿にあてて包帯を巻きつけての撮影になったりしました。
『隠し砦の三悪人』撮影時の都市伝説
同じく『隠し砦の三悪人』の撮影で、いつものように黒澤監督がキャメラを覗き、登場人物の位置を確認しているとき、前方に一人、メガネをかけた役者がいた。
時代劇でメガネをかけている人物がいるのはかなり不自然だ。黒澤監督は助監督に
「メガネをかけている奴がいるじゃないか。ちゃんとみろよ」と注意した。だが、近くにいた照明部の監督が答えた。
「監督、あれはメガネじゃなくて、三船ちゃんの目に光りですよ」
殺陣中は呼吸をしない
三船は立ち回りが始まると呼吸を止める。息をしない状態で、次々と向かってくる相手を斬りつける。一人斬るのに一秒、十人斬るのなら十秒だが、その間上げ敷く動き回るので、終わったときには完全に息切れしている。
なぜ息を止めるのか。普通に呼吸していたのでは、あれだけのスピードで人は斬れないからだ。
実際、『用心棒』で十人斬りをワンカットでやってみせた時、あまりの太刀捌きの速さをキャメラが捉えられなかったというエピソードが残っている。
僕は監督と相談して、カットを割ってもらいました。
本来はひと刀で一人を斬って、続けて15人くらい斬るシーンだったんですけど、3人斬ったところでカットして、そのかたちを俳優さんに覚えてもらって、次の3人を斬るということを、5.6カットくらい繋げたんです。それを三船さんに見ていただいたら、ちゃんとワンカットに思えるようにつながっていた。
三船さんは「おう、こういうやり方もいいじゃないか。
俺はいつも一気に斬りまくって、ゼエゼエ息を切らしているけど、それをやらなくて済むじゃないか」と。
僕は「いや、そえが三船さんの殺陣の迫力を生むし、いいんじゃないですか」と答えましたけど。
ただし、この方法は三船の体調がかなり悪いときに限られた。
スターと呼ばれる存在になってからも、一番乗りで撮影所に入り、衣装に着替えて待機するという姿勢を守った。
手抜きを嫌い、なによりも現場で人に迷惑をかけることを嫌う性格だった。
三船さんの場合は、殺陣の段取りをつけるときに、6、70パーセントくらい覚えてもらったら十分だったんですよ。
たとえ残りを忘れていてもアドリブというか、必ず同じ形で斬ったりはぜず、その場その場で変化をつけていく。
だから受ける側は次はどう出てくるのか予測できなくて、特攻隊のような気持ちでした。