『トラ・トラ・トラ!』に見る敗者の黒澤明 『どですかでん』に見る悲劇の黒澤明

スポンサーリンク

映画批評なんてやっぱりくだらないものだと思う。

 

テレビのコメンテーターと同じように、舞台に立つ恐怖やプレッシャーも知らずに、一丁前のことらしきことを言って自分に酔うのが映画批評。

 

ロックのジャーナリズムもそんな感じ。

 

今回紹介する高橋実という批評家?もいろいろと言っているが、結局、映画は観て個人か感じたものがその個人にとって全てであってそれ以上でもそれ以下でもない。

 

やっぱり、映画は語るものではないのである。

 

と、このサイトを全否定することを自ら言っておきましょう 笑。でもこれが真実なのですから。

 

敗者黒澤明

黒澤明が、西洋社会の芸術であった時代の国際映画祭にかくも熱狂的に受け入れられた理由は彼が異質な東洋のエキゾチズムを発散していたからではなく、彼が西洋人と同質のものを持っていたからである。

 

黒澤は自伝の冒頭でジョン・フォードとジャン・ルノワールを引き合いに出しているが、日本人の監督の名前を出していないことからも明白であるように、彼の映画の師は西洋人であり、シェイクスピアやゴーリキーを作劇の範としていた。

 

だから彼が『トラ・トラ・トラ!』でアメリカ映画製作に乗り出したのも不思議ではない。それは成功するはずであった。なぜなら彼はより自分の体質に近いはずのフィールドで仕事ができるはずだったのだから。

 

しかしそえは条件問題やら詐欺事件とまで騒がれた末に挫折する。いまだにその騒動の詳細は明らかになっていないが、その真の原因は明瞭だ。確かに彼の作品に流れる合理性、構造、個人主義的なキャラクター、日本人離れした行動力は西欧的である。しかし、それを作る黒澤組と呼ばれる現場の共同体は徹底して悲しくなるほど日本的システムに貫かれていた。

 

かつて映画志望者だったわたしにとって黒澤組の現場はある種の羨望を感じさせると同時に、いやそれを遥かに凌駕して嫌悪感を感じさせた。黒澤監督ぐらいの偉い映画に参加するには数限りない罵声を浴び、極度の緊張と全人格奉仕をささげなければならないのかと。そして、黒澤監督ほどの監督になるにはそれを今度は他人に強いなければならないのかと。

 

やがて、黒澤明だけが偉大な監督ではないと知ったときに今度はこう思った。なんでも『赤ひげ』を作ったとき、それらしい食器棚を用意したのはいいが、その中に決して写されないであろうそれらしい食器もまた探し出してきたらしい。なんたる愚行か。なんたる反映画的行為か。

 

映画の本道とは、裏に廻ればペラペラの、蹴り上げれば簡単にばったり壊れるようないかにも作り物というセットを使いながら、それがスクリーンに映し出されたときに十分なリアリティを感じさせるところにあるのではないか。

 

それこそが映画のマジックではないか。あるいは『天国と地獄』で列車から見える家が邪魔だったから住人に立ち退いてもらい、家を破壊したという伝説を聞くにつれ、黒澤はまるで現実に対して本来虚構であるはずの映画で立ち向かおうとしているように思ったものだ。

 

作っていた映画と作っていた自分のギャップ。これが私の考える真相である。黒澤は結果的には彼を生み育んできたアメリカ映画の前に敗れ去ったのだ。彼は次作『どですかでん』の後に自殺未遂事件を起こす。しかし、これらは痛ましい出来事であっても悲劇ではない。真の悲劇はその後であった。

 

スポンサーリンク

 

 

悲劇の黒澤明

小品『どですかでん』は『どん底』の延長戦上にある強者の登場しない民衆だけの営為を描いた異色の系譜に属する作品であり、それゆえに黒澤ファンと称する人々にとって省みられることの少ない作品である。

 

その中で黒澤の自画像とでもいうべきような存在は3人登場する。ひとりは強者の影を持ちながら市井で肩を張らず酒脱に生きる老人であり、これはかつての黒澤の姿だ。

 

2人目は、妻の裏切りに遭い、殻に閉じこもった敗者である。この裏切りとはアメリカでの映画製作の失敗を意味するだろうことは想像に難くない。そして3人目は自分の無力さゆえに子供を死なせてしまう乞食だ。この子供はアメリカで作るはずであった映画であることは明瞭だ。

 

黒澤はこの初のカラー作品で映画につけた奇妙な色彩感覚で作家としての主張をしたかったようなのだが、作品のモチーフやスタイルは明白に今村昌平であり、ATG映画であり、寺山修司であり、巨匠のすることではないようにも思える。

 

しかし、わたしは彼の演出スタイルの無色透明さをさらけ出したこの作品を、黒澤ほどの巨匠が模作を撮った勇気に感動したい。

 

次に黒澤が挑んだのがソ連で撮った『デルス・ウザーラ』。この作品は黒澤の枯れぶりが非常に印象に残るが、黒澤映画の系譜から言えば、非常に興味深い作品である。

 

この凝縮された映画は、主要登場人物が狩人のデルスと軍人で測量技師のアルセーニョフのほぼ2人である。この2人の関係は片方が片方を一方的に導くという黒澤映画ではおなじみのものだが、実はある倒錯が行われている。

 

つまり導くのが侍に相当する軍人のアルセーニエフではなく、本来導かれる側だった民衆のデルスなのである。大自然の中ではデルスこそが強者なのだ。しかし終盤、舞台が都会に移ったとき一転デルスは弱者になる。黒澤は自らを相対化する視点を獲得したのだ。

 

自分は日本人だから日本の映画しか撮れないし、それでいいのだというような発言がなされるようになったのもこのころからだ。そして6年後、ハリウッドを代表する映画人のサポートをうけて、次回作の大作時代劇が決定する。それは誰もが待望する強い黒澤明のエンターテイメント作品になるはずだった。

 

スポンサーリンク

 

 

80年代に入り黒澤映画が大衆の根強い支持を保っていたのに対し、インテリ層には軽蔑され続けた。それもまんざら理のない話ではない。この時期対照的に彼らに持ち上げられた映画作家に小野安二郎がいるが、彼も黒澤と同じくアメリカ映画の影響を強く受けて出発した。しかし、小津はやがて彼自身の日本人という現実に即した自分だけの境地に達した。

 

だからそんな彼を知識人は認め支持した。そかし黒澤はそうならなかった。いや、あまりにも遅すぎた。『影武者』は80年代、『乱』は85年に公開され賛否両論の渦を巻き起こした。正確に言うと賛は海外の大勢で、否は国内の大勢であった。その黒澤ファンを自称する多くの人々に彼は拒絶された。

 

彼の作品の本質は「面白さ」にあると信じた観客や評論家から。そこで問題とされたのが、あくまで面白さであり、そこにあるメッセージや思想は誰もが理解を拒絶した。これまで黒澤映画は皮肉にも、「大衆」によって支持さえてきた。しかし、黒澤は変わった。真の自己に目覚めつつあったのだと言ってもいい。しかし、それを受け入れようとしなかったのは、他ならぬ彼の映画を支持してきた大衆だった。

 

黒澤の晩年の映画はどれも自己言及的である。たしかにデルス・ウザーラや武田一族、一文字秀虎の滅びの描写は、黒澤は晩年の心象風景であるとともに、日本映画界のメタファーでもあろう。しかし、そんな見方は必ずしも正しくない。むしろ注目すべきなのは『夢』も含めた晩年の作品に色濃く漂う警世のメッセージである。

 

『影武者』の合戦後の場面で馬がもがき苦しむさまがえんえんと描かれるが、ちなみにその場面は多くの黒澤ファンによってその直前の場面こそ見たかったのだ評された。見間違えてはいけないのは、ここにはメッセージがあるということだ。黒澤はかつてこのようにメッセージ主体の場面を作ったことはなかったのだ。

 

『夢』となるともっとストレートに黙示録的な場面を作っている。しかし、誰もこれらの世界の巨匠の発したメッセージに注目したものはいなかった。これこそが真の悲劇と呼ぶべきではないだろうか。ただひとり黒澤の映画言語を受け継いだ正統的後継者であう宮崎駿がまるで意志を継ぐがごとく黒澤と同質のメッセージを含んだ作品を送り続けている。そして彼のそれも師がそうであったように、人々に理解されているとは言い難い。

 

黒澤が没したとき、「なぜ、あれだけの監督に好きなだけたくさんの作品を作らせてやれなかったのか。それをさせてやれなかった日本映画界を情けなく思う」と云った発言を目に耳にした。
この意見に対しては一抹の共感が感じられないではないが、やはりこういった愚か者にはバカヤロウという言葉を謹んで差し上げたい。いかに偉い監督であろうと無条件に好きな映画を撮らせるような特権を与えられるべきではない。

 

いかに偉大な映画監督であろうとその時代の表現者とつばぜり合いをし、同等の立場で競い合い、それで敗れたのなら、彼の映画がその時代のリアリティに敗れたならば、黙って身を引くべきなのだ。今でもその偉さに神通力があるならば、真に偉大であるならば、彼はその戦いに勝利するはずだ。

 

映画とはそんな甘いものではない。侮辱するな。これは別に日本映画の現状とは何の関係もない。そういうお前たちは黒澤の晩年の作品を観て、どういう反応をしたのだ。これは俺たちが観たかった娯楽時代劇ではないといって拒否反応を示さなかったか。

 

高橋実氏による黒澤明論 
河出書房新社発行 「黒澤明 生誕100年総特集」より抜粋

 

このエントリーをはてなブックマークに追加   

 

U-NEXT で黒澤明監督作品を観る(31日間無料)

 

 

巨匠黒澤明を語り尽くす!共演者、スタッフ、批評家、様々な人が語る黒澤明論の関連ページ

黒澤明の師匠〇〇が語る黒澤明を面接したときの話!「絵だって映画だって同じです!」

 

黒澤明『羅生門』の金獅子賞立役者カメラマン○○が語る撮影秘話!

 

黒澤組を技術で支えたカメラマン斉藤孝雄インタビュー!「必ずどこかに○○がありました」

 

リリー・フランキーが愛してやまない黒澤明映画は、なんとあの作品だった…!?

 

黒澤明監督の居場所 おすぎエッセイ

 

東京五輪総合演出の野村萬斎は15才で黒澤明作品に出演していた!『乱』『蜘蛛巣城』と能・狂言との関係性について語る!

 

渋谷陽一が語る黒澤明 肯定性とヒューマニズム、そしてあの自殺未遂について斬り込む!

 

黒澤明についた助監督たちが語るクロサワ体験記がヤバい…

 

映画監督田中登が語る黒澤明 『用心棒』での学生助監督見習い

 

森崎東監督が黒澤明『野良犬』のリメイクを作りたくなかった衝撃の理由とは…?

 

黒澤明が持つエンターテイメント性と思想性について 世間一般の間違ったバカな見解とは?

 

『野良犬』『酔いどれ天使』『七人の侍』などに見る黒澤明の偉大なる〇〇とは!?

 

『トラ・トラ・トラ!』に見る敗者の黒澤明 『どですかでん』に見る悲劇の黒澤明を解説

 

『踊る大捜査線』にみる『椿三十郎』 たまには強引なクロサワ論で…

 

『用心棒』や『天国と地獄』に見る黒澤明の天才的な○○的感性について

 

『踊る大捜査線』の黒澤オマージュは『天国と地獄』だけではないんだぜ!

 

黒澤明の不可解? 黒澤明不思議論

 

評論家町山智浩氏が「七人の侍」を徹底解説!『七人の侍』に欠けているたった唯一の弱点とは!?

 

『天獄と地獄』のラストシーンで、黒澤明とて予期しなかった凄いことが起こった!? あの役者〇〇の怪演がエンディングを変えた!?

 

黒澤明の映画論とテクニックに関する記事一覧

黒澤明作品の真髄は脚本!橋本忍、小国英雄、菊島隆三という偉大なストーリーテラーとのクリエイティビィティ!

 

黒澤明の撮影術 パンフォーカスやマルチカムを世界中に流行らせたのは黒澤!

 

黒澤明作品の原案は〇〇が半数!「七人の侍」は「壊滅」という〇〇がヒントになった!

 

黒澤明「羅生門」は「〇〇〇〇アプローチ」として海外作品に強烈な影響を与えた!

 

「七人の侍」製作者・本木荘二郎の晩年が悲しすぎる…

 

宮崎駿が大絶賛!黒澤明のあの名作「〇〇〇」のファーストシーンの戦慄!

 

黒澤明監督『影武者』 勝新VS黒澤 どっちが悪い?主役交代劇の真相は〇〇だ!

 

黒澤明「野良犬」と「静かなる決闘」は兄弟作 そしてあの名作「〇〇〇〇〇」に繋がっていく!

 

『七人の侍』 俳優を追い込む黒澤明のドSっぷりがヤバすぎる…貴重すぎる撮影秘話の数々

 

『椿三十郎』映画史に残る有名なラストシーン 今じゃ考えられない取り直しが利かない緊迫の撮影現場!!

 

映画監督アンケート! 私が選ぶ黒澤明ベスト3!

 

なぜ『暴走機関車』は頓挫したのか? 黒澤明とハリウッドの距離

 

『悪い奴ほどよく眠る』『生きものの記録』にみる黒澤明の○○性!

 

黒澤明の壮絶な生い立ちや全作品紹介はこちら

師匠山本嘉次郎が語る黒澤明を面接したときの話!「絵だって映画だって同じです!」

黒澤明は画家を夢見ていたが、絵では食っていけないと感じていた。また兄丙午の死によって、長男のような責任も感じ始めていた。とにかく父母を安心させたいという一心で後の東宝にあたるP・C・L映画製作所の助監督公募の広告をみて応募する。その時の面接官が後の師匠となる山本嘉次郎であった。その山本嘉次郎が弟子の...

≫続きを読む

黒澤明『羅生門』の金獅子賞立役者カメラマン宮川一夫が語る撮影秘話!

※『Esquire』1990年9月号よりクロサワとミヤガワ はじめての仕事僕は、キャメラマンとしてスタートをしたときに稲垣さんにいろいろ教えてもらった関係で、稲垣さんと仕事をすることが一番多かったんです。稲垣さんが丁度『手を繋ぐ子達』というのを昭和23年に撮って、その後東宝へ行かれたんですね。それで...

≫続きを読む

黒澤組を支えたカメラマン斉藤孝雄インタビュー!「どこかに仕掛けがありました」

黒澤映画では『素晴らしき日曜日』から『まあだだよ』まで、約50年にわたって撮影に携わってきた斎藤孝雄氏。メインの撮影監督になるのが『椿三十郎』ではあるが、それまでもマルチカムの2台目の撮影はすべて斎藤氏による撮影であった。以下、インタビュー記事の抜粋である。黒澤の第一印象や撮影術について※河出書房新...

≫続きを読む

リリー・フランキー 愛すべき人に薦めたい作品は黒澤明監督「どですかでん」

『どですかでん』が黒澤作品のベスト1と言っている人はなかなかいません。このサイトの管理人である私は『どですかでん』がベストでありますが、共感し合える人も少なく寂しい思いをしています。なのでリリー・フランキー氏が『どですかでん』ファンであると聞いて嬉しくおもいました。色々と好きな理由はあるのですが、私...

≫続きを読む

おすぎが語る黒澤明日本人についてがけっこう深い!?

映画を撮りたくても撮れなかった50代60代私自身、黒澤監督のマネージャーやスクリプターなどのお仕事をなさっていた野上照代さんと親しいものですから、その関係で監督とお話もさせていただいたし、『乱』の撮影現場も仕事がてら陣中見舞いに寄らせていただいたり。監督かちょっと谷の方に下りていったのを「迎えがてら...

≫続きを読む

野村萬斎が語る黒澤明と『乱』『蜘蛛巣城』。 能・狂言との関係性について

伝統芸能の役者でありつつも、常に新しいアプローチを模索し続ける狂言師・野村萬斎。伊藤英明とのコンビで大ヒットを記録した『陰陽師』や日本アカデミー賞10部門受賞した『のぼうの城』など、ヒットを放てる数少ない伝統芸能人。2020年開催の東京オリンピックでは総合演出を任され、グローバルなフィールドでの活躍...

≫続きを読む

ロックジャーナリスト渋谷陽一が巨匠黒澤明を語る!自殺未遂について等

日本におけるロックジャーナリストの第一人者である渋谷陽一による黒澤明回想記である。『ロッキング・オン』以外にも『Cut』などで俳優や映画監督などのサブカルチャー全般を釣り扱っており、雑誌の編集やインタビューなど、高く評価されている。渋谷陽一が語る黒澤明黒澤明は積極的に触れなかった映画はそれこそ小学校...

≫続きを読む

黒澤明についた助監督たちが語る クロサワ体験記

映画の現場で一番過酷なポジションとはいったいどの担当の人間だろうか?答えは一目瞭然、助監督である。テレビでいうアシスタントディレクター、いわゆるADが映画でいう助監督である。監督の現場の怒号は、役者やその他の技術スタッフなどにはほどんど向けられない。基本的には監督が怒る相手は演出部の部下である助監督...

≫続きを読む

映画監督田中登が語る黒澤明 『用心棒』での学生助監督見習い

主に日活ロマンポルノ作品を監督し、『夜汽車の女』『?式場メス市場』『人妻集団暴行拉致事件』『発禁本「美人乱舞」より責める』などの数々の名作を残した映画監督の故田中登氏が、学生時代に、『用心棒』の現場スタッフのアルバイトをしていたという。その時の様子を語ったのが以下である。田中登 学生助監督見習い記ぼ...

≫続きを読む

黒澤明『野良犬』のリメイクを作りたくなかった理由 森崎東監督

昭和48年の松竹で製作した『野良犬』が25年ぶりにやっとビデオ化された。自作の中で『野良犬』だけがビデオ化されていない理由を、原作者である黒澤監督と菊島隆三氏の許可がないからだと思ってきたが、実はそうではなかったらしい。正直言って、私は会社企画であるこのリメイクを断りたかった。私は自分の監督昇進一作...

≫続きを読む

黒澤明が持つエンターテイメント性と思想性について 世間一般の間違った見解

映画批評なんてやっぱりくだらないものだと思う。テレビのコメンテーターと同じように、舞台に立つ恐怖やプレッシャーも知らずに、一丁前のことらしきことを言って自分に酔うのが映画批評。ロックのジャーナリズムもそんな感じ。今回紹介する高橋実という批評家?もいろいろと言っているが、結局、映画は観て個人か感じたも...

≫続きを読む

『野良犬』『酔いどれ天使』『七人の侍』などに見る黒澤明の偉大なる先取り!

偉大なる黒澤明以下は映画評論家の高橋実氏のコラムである。映画評論ってやっぱり、説得力がないな〜とつくづく思うのである。やはり、映画は観るものなのでしょう(このサイトの存在意義は?笑)------------------------------------------------日本を代表する映画監督...

≫続きを読む

『トラ・トラ・トラ!』に見る敗者の黒澤明 『どですかでん』に見る悲劇の黒澤明

映画批評なんてやっぱりくだらないものだと思う。テレビのコメンテーターと同じように、舞台に立つ恐怖やプレッシャーも知らずに、一丁前のことらしきことを言って自分に酔うのが映画批評。ロックのジャーナリズムもそんな感じ。今回紹介する高橋実という批評家?もいろいろと言っているが、結局、映画は観て個人か感じたも...

≫続きを読む

『踊る大捜査線』にみる『椿三十郎』 たまには強引なクロサワ論で…

『椿三十郎』と『踊る大捜査線』しかししつこく書けば、例えば『椿三十郎』の頃は実に、鋭敏な同時代感覚を持っていた。その証拠に橋本治氏の『完本チャンバラ時代劇講座』を開いてみる。東宝のサラリーマン映画に出てくる”現代人”を大胆に器用し、黒澤作品にしては珍しく明らさまに二番煎じで明らさまに娯楽映画である『...

≫続きを読む

『用心棒』や『天国と地獄』に見る黒澤明の空間的感性について

今回の批評は、黒澤明が映画の中で描き出した「空間」について。なかなか凄いことを言っている感がある文章ですが、映画批評家などの文章は非常に分かりにくい。難しくこねくり回して、自分の語彙力や文章力をこれでもかと見せつけている感がよく目につく。映画はやはり、語るものではないですね。笑黒澤明が映画の中で描き...

≫続きを読む

『踊る大捜査線』の黒澤オマージュは『天国と地獄』だけではない!

映画批評 轟由起夫※4 河出書房新社発行 「黒澤明 生誕100年総特集」より抜粋噂は公開前から耳にしていた。何やら大胆不敵にも「クロサワを引用している」というではないか。ヒントはずばり「誘拐」だ。となると例のシーンか。それを確かめようと初日劇場へと向かった。満員だった。客席は異様な熱気をはらんでいた...

≫続きを読む

黒澤明の不可解さ 黒澤不思議論

「国際性」と「国民性」が同居黒澤明は不思議な存在である。それは日本においてはトーキー以降の世代で唯一「国際性」と「国民性」が同時に成立する映画作家だからである。例えば、戦後の同時期に活躍したほぼ同世代の作家たち、『二十四の瞳』の木下恵介、『青い山脈』の今井正、『君の名は』の大庭秀雄等は、黒澤と同様に...

≫続きを読む

評論家町山智浩氏が「七人の侍」を徹底解説!『七人の侍』に欠けている唯一の弱点とj...

映画評論家の町山智浩氏が日本映画の至宝『七人の侍』について語っている内容をまとめてみました。町山さんに『七人の侍』に対する見解の深さもさることながら、対談相手の春日太一氏の情報量が凄いです。『七人の侍』の3時間に及ぶ長さは最初から意図されたものだったのか?春日 この映画は製作日数は271日で、総製作...

≫続きを読む

『天獄と地獄』のラストシーンで黒澤明が予期しなかった凄いことが起こった!?

映画評論家で黒澤作品についても詳しい町山智浩氏の『天獄と地獄』の解説をご紹介します。町山氏は、この映画『天獄と地獄』をはじめて観たとき、「え?これでいいの?」と思ってしまったらしい。中学生ながら、これはちょっとダメなんじゃないのという違和感があったという。その違和感や、黒澤監督自身も予期しなかったラ...

≫続きを読む