黒澤明『羅生門』のグランプリ立役者カメラマン宮川一夫が語る撮影秘話

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世界のミヤガワが語る 羅生門の、ころ。

※『Esquire』1990年9月号より

クロサワとミヤガワ はじめての仕事

僕は、キャメラマンとしてスタートをしたときに稲垣さんにいろいろ教えてもらった関係で、稲垣さんと仕事をすることが一番多かったんです。

 

稲垣さんが丁度『手を繋ぐ子達』というのを昭和23年に撮って、その後東宝へ行かれたんですね。

 

それで僕は2年ほどわびしくて、どうしようもないなと思いながら仕事をしていたところに、黒澤さんが『羅生門』をお撮りに大映にいらしたんです。

 

東宝ではその時、組合のことなどでいろいろごたごたしていた時ですから、

 

いきなり黒澤さんがやれと指示があったときは、こっちも面食らってしまって…。

 

思いもよらなかったもので、いいのかな、ということで戸惑いましたけれども。

 

黒澤さんの映画はもちろん見ていましたよ。

 

でも、僕はそれまでが日活から大映、稲垣さんまで叙情的な映画、ストーリーも画調もだいたいソフトな映画を撮ってまして。

 

黒澤さんが撮っておられたの写真、画調というのはどっちかというと、ちょうど今でいうドキュメンタリーといいますか、大変シャープな画をお望みのようでしたし。

 

僕は逆にそういう調子のものを撮ったことがなかったものですから。

 

どっちかというと白塗りがきれいに映るようにというような制約もあったし。

 

とにかくシャープな絵、今風にいうとハイビジョンのように撮れと言われても、当時のフィルムはそこまでは行きませんでした。

 

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大成功した『羅生門の』モノクロの色の出し方

そこで僕は台本を読みまして、黒澤さんと話した時に、話自体が白黒、それもコントラストの強い白黒にした方が面白いということを伝えたら、黒澤さんも実際はそう考えていたという。

 

それじゃ、モノクロといっても色には白と黒と鼠色というものがある。

 

でも極端に言えば、その鼠色をなくしてしまって、白と黒だけの画にしたいんですがどうでしょう、と私が申し上げた。

 

それは面白いんじゃない、と黒澤さんもおっしゃって、それでイーストマンで撮ったり、日本のフジで撮ったり、いろいろテストでやってみた。

 

当時のフジというのは、まだ完全にいいものではなくて、ざらつきのあるような時代なんです。

 

それをあえて、僕はこの話ではそういうフィルムを使ったほうが面白いんじゃないかと思って。

 

黒澤さんに僕は銅板みたいにザラザラしているような感じに撮りたいんだと言ったら、それは面白い、と共鳴して頂いた。それが力強くてね。

 

お話することに全てに返事が返ってくるんですね黒澤さんは。違うことは違うとはっきりおっしゃるし。

 

むしろ、それならこういう風にと指示をなさるんです。

 

それが今まで僕がお仕事をした人たちと違ったところですね。
面食らいもしましたけど、この人には言いたいことは言ったほうがいいなと。

 

黒澤組では、絵コンテ通りだと監督に怒られる

黒澤さんは後の仕事でもそうですが、コンテもお書きになっていたけど、そのコンテ通りやっていたらいいんだという考え方でやっていたら全くダメなんで、黒澤さんもそうじゃないっておっしゃる。

 

これはあくまでも僕のイメージだけを描いてあるんだ。
実際に撮影するときは自分のものをそこへ入れてくれ、いい悪いは僕が判断するから。と。

 

それは当然のことで、コンテ通りに撮っていくのは面白くないし。

 

そこへ自分のイメージを入れて膨らませていく仕事のやり方が本当だと僕は思うんです。

 

黒澤さんがコンテのこだわると世間では言いますけれども、そうじゃなくて。

 

黒澤さんにとってはあくまでもひとりひとりがコンテのイメージを膨らませるということが重要なんで、

 

だからむしろコンテ通りのポジションで、サイズから何から何まで全部同じような撮り方としたら、ご機嫌が悪かったんじゃないですか。

 

僕はそう思いましたよ。他に考え方はないのか、というような質問がありましたからね。

 

今でもそうじゃないですか。その辺が変わらないと思います。

 

もっと言えば、森の中のシーンで、丸太ん棒の柱をひとつ肩から担いで志村喬さんが歩いてくるところがあるんですね。

 

それを監督から見て、大きく絵を撮りながら送り込め、と言う。これはキャメラ振りようがないわけです。

 

横からなら撮れるんだけど、真下から撮ってそういう振り方をするというのは無理なんですね。いわゆる手持ちカメラというのがない時代ですから。

 

それで相手の人がキャメラを抱きとって送り込んだという、乱暴といえば乱暴な絵の撮り方をした。

 

でもそういう仕事の在り方が「黒澤美」をつくる上で一番大事にされてきたことじゃないですか。

 

監督であれ、照明であれ、撮影であれ、全てのパートの人が、ワンカットの画の中に、自分の立場で僕はこれはこういう風にしたいということをみんな入れていく。

 

コンテ通りにキャメラマンは撮ってそれでおわりというだけじゃなくて。照明さんだってそう。扇風機で風を作ってくれたりね。

 

愚痴になるけど、最近の画の中にはそういう手作り的な工夫というのが少ないような気がしますね。

 

今、風ということを言ったんだけど、ここの窓の外に風が吹いてあの木が動いてくれればいいのにな、と思ってもセットだからそのままということがよくあるんです。

 

昔はやっぱみんな手でやりましたからね。少しの風だと助監督さんがレフを団扇にして風をおこしてくれましたものね。

 

やっぱりそのカットひとつひとつにみんなものが集中していく。

 

僕はこれなんだな、と。黒澤さんの時だけじゃなく、いつも思いますよ。

 

そういう何でもない工夫が最近足りない気がするんだな。

 

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『羅生門』撮影秘話

 

太陽をバックに三船さんと京マチ子ちゃんが接吻するところを撮って、という黒澤さんの注文があった。

 

ドイツの女性でオリンピックの映画を撮った人がいましたよね。そう、リーフェンシュタール『民族の祭典』。

 

その人が撮ったフィルムでひの丸のような太陽の前に聖火が動いている。そういうカットがあってね。

 

どのくらいの望遠レンズで撮ったのかよくわからなかったけれど、そのイメージが黒澤さんにはあったんじゃないかと、僕が想像しましたよ。

 

250ミリぐらいの望遠がないと駄目だなと思いました。

 

当時としては、いくら望遠でもレンズを太陽に向けるというのはとても危険な行為だった。

 

パルボなんてキャメラだと、フィルムを直に通してみますから、フィルムが燃えてしまう、そういう風に教え込まれてきたんです。

 

太陽を見るなんていうことは本当に戦後になってからじゃないですかね。

 

逆行線が当たるのをとっても嫌いましたからね。
それで木の間から太陽光がさんさんと降り注ぐ場面にした。

 

あれは、光と影のコントラストだけでいいわけなんです。

 

だけど森の中で漏れる光彩というのは、はっきりとした影がつかめないんで、レフで撮っていたらダメ。

 

鏡を直に持っていって、鏡をおひさまを照らしてやる。俳優さんも面食らったんしゃないですかね。

 

志村さんだったか、鏡で眼を痛めちまってね。

 

とにかく森の中の光の流れの節になっているのは、太陽光線が直に当たっているか、そうでないところでも、狙うものには鏡で反射させて当てた。

 

乱暴ですけど。そして銅板のようにザラザラしているフィルムをつかった。

 

フジを使ったということは、成功したと、僕自身は思っているんですけどね。

 

それが今、不思議なことに『羅生門』ニュープリント版というのを見ると、僕らが思っているものと全然違うんですね。

 

フィルムがよくなっているんです。これは綺麗ですが、出なくてもいいところまで出てしまっているんです。

 

粒子も細かくなっているし。僕らは粒子の粗いのを狙っていたんで。

 

三船演じる多襄丸の汗でも、面白い経験をしました。

 

水を吹き付けもしましたが、すごく暑いところで、実際の汗も相当出ていた。

 

あれは妙なもんで僕らの技術の問題になるんですけど、レフだとか何かを当てても明るく映えるだけで、一粒一粒の光としてはでてこないんです。

 

それが強烈なひとつに光を当てると、ひとつひとつの丸い汗が光に映えて写るんですよね。一粒一粒が見えるようになる。

 

その辺で鏡を使っていて、後になってレフの使い方、鏡の使い方、ライト自体も鏡のように切ってと、使い分けるようになった。

 

雨のシーンもとにかく撮影所にあるポンプじゃ駄目なんで、消防署にお願いしてなんとか応援して頂けないかと言ったら、消防署ではうんとは言えないわけですね。

 

何か書類を色々あれしていましたけど、それじゃ、ホースだけは貸すけれどもということになって、小型の方を二台持ってきてくれた。

 

とにかく滝のような雨ということだから、普通のい雨じゃない夕立。

 

それも夕立が降っている中にさらにホースで水をかける。

 

かけなきゃ、滝のようなということにはならない。僕も滝のようなという表現にはちょっと困りましたけれど。

 

黒澤さんはそういう表現をなさるわけです。

 

燃えるにしても一気にぶわっーと燃えちゃうんだというような言い方ね。

 

ダイナマイトで吹っ飛ぶような、全部吹っ飛んだという言い方。

 

オーバーにおっしゃるということではなくて、それを受け取る方としては限界みたいなものを考えて、ここが限界だというところまでやろうとするわけでしょう。

 

そういう言い方をされると、普通はやりたいなと思っても予算がということで遠慮しちゃう。

 

ところが黒澤さんはやりたければやろうという気にさせる。溝口さんもそういうところがありましたけどね。

 

そんなわけで撮影している近所で、みんな水道がとまっちゃった。

 

大騒ぎになったんです。ご町内全部に謝りに行った。消防署への始末書か何か書いて持っていったみたいですよ。

 

 

黒澤さんとはそれから『用心棒』と『影武者』でご一緒した。

 

『影武者』は途中病気で交代しちゃったけど、『用心棒』の時は呼ばれて、助手も誰も連れないで一人で東宝に行った。仕事に入りゃみんな同じなんですよ。

 

ロシアに行こうが。どこへ行ったって同じだ。外ではどう言っていても、仕事に入るとやっぱり自分の思い込みでやらなきゃ、映画って面白くないですからね。人の思いだけでやったら。

 

そういう点では私はとにかく監督に恵まれているし、そうした監督と仕事をすることが多かったから大変幸せに思っています。僕みたいなラッキーな男はいないんじゃないですか。

 

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