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「天国と地獄」は映画的であり映画的ではなかった
「天国と地獄」の脚本の創作過程の内幕だが、誘拐されたのが運転手の子供だと知って、身代金は払わない、という場面までは順調に仕事は進んでいた。
がしかし、思わぬ壁にぶち当たってしまって、苦労したと菊島は振り返っている。
小説では、脅迫する側とされる側とが交互に出るカットバックでストーリーが展開していく。
しかし、菊島たちが壁にぶち当たったのは、一見映画的手法であるカットバックについてであった。
子供が生きているかどうかが、まったくわからないところが物語の要なのに、犯人側のカットバックされてはサスペンスが盛り上がらないという観点からである。
「もしかすると、この小説は最も映画的表現であるかに見せかけて、最も映画に不向きなものかもしれない」という不安が大きくなり、慌てて原作を読み返す菊島たち。
そうすると、はじめて読んだときには気が付かなかった弱点が見えてきたらしいが、
「誘拐されたのが自分の子供ではないことが分かっても、なお身代金を請求されているという設定は大変ユニークなので、なんとか作品にしたい」
ということになったという。
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「天国と地獄」の凄さ
脱稿までに45日間掛かったという脚本。身代金引き渡しのアイデアは丸三日間掛かっても出てこなかったという。
この脚本の構成上の凄さは、冒頭から延々一時間弱も密室でのシーンで展開した後、いきなり特急こだまが出てくるという、その転換の妙にある。
そして子供救出までが1部、犯人逮捕までが2部という2部構成にしたこと。
さらに犯人捜しの映画であるのに、あっさりと犯人を登場させたことなどが挙げられる。
あっさりと犯人を出したことについて菊島はこう語っている。
ここで私たちは、いままで声だけしか聴かせていなかった犯人をいきなり登場させた。
これから犯人捜しをしようというのに、ずいぶん乱暴なやり方だと思うかもしえないが、そこが小説と映画の違うところである。
小説は筆の運びようで巧みに犯人を隠すことができるが、映画では犯人をラストシーンまで登場させない場合を除いてほとんど途中で観客に気付かれてしまう。
だからと言って隠しすぎるとストーリーが混雑して、バラしたときに説明することが多すぎて、興味をそぐ。
したがって、真犯人は誰がというようなジャンルのミステリーは「オリエント急行殺人事件」のような名作でないと映画には不向きなのである。
※黒澤明の作劇術 古山敏幸 フィルムアート社 より引用
黒澤の犯人登場シーンのこだわり
今まではずっと声だけの出演だった犯人が、初めてスクリーンに映し出されるシーンがある。
刑事2人が犯人の使った公衆電話を探して、悪臭漂う運河沿いを歩くシーン。
遠くに見える権藤邸。刑事2人とすれ違うように運河の対岸を歩く若い男の姿が水面も浮かぶ。
犯人の初登場は、悪臭漂う運河にその姿を映し出したいという黒澤監督のこだわりがあった。
その撮影の早朝から小道具担当が、ゴミを運河にまいて、汚く見える準備をしていた。
がしかし黒澤監督が一括「何をやっているんだ。もっと研究しろ!」と言われてその日のロケは中断した。
そこから、小道具担当の野島は、役所へ行って撮影が終わったら元に戻すという誓約を入れて、河を汚す許可を得て、1か月かけて本当の河のゴミを集めて、実際に悪臭まで放つようになったという。
ラストシーン
「私は死刑なんてなんとも思わない、地獄へ行くのも平気だ…」と毒づく犯人。
急に両手をで頭を抱えて、身体を震わせている犯人。「畜生!」と叫び金網をつかむ犯人。看守2人が犯人を連れ去っていく。
権藤の目の前に鉄板のシャッターが降りてくる。そのシャッターを見つめて動かない権藤。ガラスに映る権藤の顔。
このガラスに映る、が演出の狙いであろう。権藤カットには犯人の顔がカラス越しに映り、犯人カットには権藤の顔がガラス越しに映る。
その為に2人に当てるライトの量は倍になり、金網は強烈に熱くなっていたため、山崎努は手を火傷したという。
脚本上ではこのあとラストカットがあった。
権藤と戸倉(仲代)が黙々廊下を歩いて表に出る。そこで2人は別れの挨拶をかわす。
権藤 「今度はいつお目にかかれるか」
戸倉 「いや、私なんかに用がない方がいいですよ」
2人は顔を合わせて、微笑して別れていく。
この場面は撮影して編集でも合わせてみたが、最終的に余分と判断されてボツとなった。
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