『ベルリン・天使の詩』『パリ・テキサス』のヴィム・ヴェンダース対黒澤明の貴重な対談!

ヴェンダース対クロサワ

『ベルリン・天使の詩』『パリ・テキサス』などで有名なヴィム・ヴェンダースと黒澤明の対談。ドイツを代表する世界的巨匠もやはり大先輩である黒澤明に対しては気を遣っているのがよくわかる対談である。黒澤明というよりは小津安二郎へのリスペクトで有名な監督である。

 

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『八月の狂詩曲』ごろのインタビュー

 

ヴェンダース 「片手をあげている仏像は初めて観ました。」

 

黒澤 「ああ、誕生仏ね。これは釈迦が生まれた時に天と地を指して「天上天下唯我独尊」と言った姿を表しているんだ。

 

ヴェンダース 「映画監督がアクション!と言っているようなポーズですね 笑」

 

黒澤 「それは面白い。実は『羅生門』がヴェネチア映画祭で金獅子賞を受賞した時、日本の映画監督協会から頂いたものでね。溝口健二さんと小津安二郎さんが選んでくださったものなんだ。」

 

ヴェンダース 「それは本当に特別なものですね。(小津と聞いて感慨深げ)」

 

黒澤 「ところでヴェンダースさんはおいくつ?」

 

ヴェンダース 「45歳です。1945年の8月14日に生まれましたから、ちょうど『八月の狂詩曲』に登場する、あの時ですね。」

 

黒澤 「じゃあ、僕の息子(プロデューサーの久雄さん)と同じ年だ。息子が女房のお腹にいた頃、東京は空襲が大変で苦労しましたよ。」

 

ヴェンダース 「ドイツも同じような状況でした。僕が生まれた家はその区画の中で一軒だけ焼け残ったんです。だから子供に頃は廃墟の中に煙突があるだけの情景が世界だと思っていましたから。それが世界に対する第一印象でしたね」

 

子供の視点で撮った映画

 

ヴェンダース 「先日、『八月の狂詩曲』を拝見しました。『影武者』『乱』『夢』といった大作が続いた後に突然、家族をテーマにした作品だったので驚いたというのが正直な感想です。」

 

黒澤 「自然にああいうものがやりたくなってね。僕自身が子供の時、おばあちゃんの家に遊びに行ったような気持ちで撮りましたよ。」

 

ヴェンダース 「蟻が薔薇の木に登っていくシーンがありますよね。あれは初めから脚本にあったのですか?」

 

黒澤 「ええ。原作の『鍋の中』にもあったんですよ。蟻を撮るのが大変でね。蟻の修正を研究している学者に手伝ってもらったのね。」

 

ヴェンダース 「蟻の調教師 笑」

 

黒澤 「蟻が薔薇に向かっていくように地面に特殊な匂いをつけるんです。ところが。根本まではいくけどなかなか薔薇の木に登ってくれない。調べたら、木の肌に生えている産毛みたいなものが痛いらしくてね。それを剃ったら登ってくれた!」

 

ヴェンダース 「あのシーンは感動的で、映画的にも効果的だったと思います。まず初めに男の子の視点があって、次にその子が何を見ているのかな、と子供の視線をたどる大人がいる。そして、二人の関係を強く印象つけていました。

 

黒澤 「原作ではクラークは日本には来ないので、子供だけが蟻と薔薇を見つめていることになっていてね。僕が脚本で書き換えた。」

 

ヴェンダース 「ふたりで見ているというのが重要でした。大人が子供の視線に気づき、大人が子供の目で物を見ることができた。その瞬間が美しい。この映画全体が子供の視点で作られているような印象でした。」

 

黒澤 「ロケーションの間、僕も実際にあの子供達と暮らして、子供たちに気持ちであの作品を撮っていたんだ。」

 

ヴェンダース 「幼い子供たちの視点とおばあちゃんのそれに共通のものがあり、大人たちには見えないことが、子供とおばあちゃんにははっきりと見えている。僕が『ベルリン・天使の詩』で考えていたことと通じるところがある。

 

黒澤 「とにかく子供たちをにのびのび自然に遊ばせてね、脚本になかったものでも、子供たちが勝手にやってて楽しいと思ったことをそのままやってますよ。」

 

ヴェンダース 「映画の中でリチャード・ギアが日本語を喋っていますけど、彼の日本語はどうでしたか?」

 

黒澤 「ええ、うまいですね。ちょうどいい感じで下手なんですよ 笑。でも短い時間でよくやってくれましたね。」

 

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沈黙だからこそ強烈に語られる歴史

ヴェンダース 「世界中から送られた原爆慰霊碑を子供たちが見上げるシーンでは、カメラも位置も子供の視点に設定してありますよね。あのシーンが大人の視点から重ねられていたら、まったく違う意味を持ってしまったことでしょう。それに使われていた音楽がシューベルトの『野ばら』でドイツの音楽ですから、個人的には親近感も感じました。あの歌の歌詞はとても美しいし。

 

黒澤 「ゲーテが書いた原語の歌詞では、後半で子供が薔薇を折るぞと言うと、薔薇がじゃあ刺すぞ、となっているんですけど、日本語の歌詞ではそれは省かれていて、前半の荒れ野の咲いた野ばらが美しいと繰り返すだけで。」

 

ヴェンダース 「慰霊碑に立つ子供たちの姿を通して、”歴史の見方”を監督は提案なさってた。子供の視点で歴史を見つめることを。」

 

黒澤 「そうですね。あの場所も今は旗を持ったバスガイドの後をゾロゾロたくさんの観光客が歩いていて、みんな観光記念の写真を撮っているだけ。ここでどんなことが起きたなんて考えてないみたいなんですよ。その様子を見てみると、腹立たしくなってきてね。スタッフもみんな憤りを感じていて、そんな気分もあのシーンには出ていたのかもしれない。長崎の被爆者の人たちは何も言わないんです。じっと沈黙している。」

 

黒澤 「ある被爆者の女性が、45年たったから言えるんだけど、と話してくれたんだけどね。その人が逃げている時に誰がに足を?まれたので振り向いたら、目が飛び出ていている女の子だった。でも自分が助かるには振り払って逃げるしかなかった。そんな経験が記憶だけじゃなく、体にも感覚として残っているというのです。つまり、自責の念というのかな、思い出すのも辛い。だから黙っているですけど。」

 

ヴェンダース 「映画の中のおばあちゃんは自責の念や、自己批判の態度を露骨にしない。淡々とした態度で描かれていたからこそ、強烈なメッセージとして伝わってくるんじゃないでしょうか。」

 

黒澤 「小学校の校庭にある被爆したジャングルジムの慰霊碑で、花の世話をする人たちが登場するでしょう。あれは本当に被爆した人たちが出てくれた。待ってる間、半分くらいは横になっているんですよ、具合がわるくて。でもじっと黙って待っててくれてた」

 

ヴェンダース 「ただ悲しんで憂いでいるよりも、そうやって静かに心を開いてくれるほうがいいし、声高に叫ぶよりも静かに語られるほうがずっといい。」

 

黒澤 「長崎や広島でも、反戦集会などがあるといろいろな政治団体が派手に旗を立てて声高に演説したりする。その傍らで被爆者たちはずっと黙っている。ただただそこで祈っている。演説している人達よりもずっと強烈なんですよ。その姿を見ていると圧倒されてね。恐いくらい。映画の中でおばあちゃんを訪ねて何も言わないで帰っていく友達がいるでしょう。あの感じなんだよね。無言でも言いたいことは分かっている。僕は黙っているということに強烈なものを感じます。」

 

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ハイヴィジョンだからできる映像

 

ヴェンダース 「山の間に巨大な目が現れる場面がありますが、あれは原作にはあったんですか?」

 

黒澤 「いいえ、僕がイメージしたものです。」

 

ヴェンダース 「あの場面は前作の『夢』の続きを見ているようで、黒澤さんのオリジナルのイメージだろうとは思っていました。」

 

黒澤 「東京が空襲になったころ、「今晩、僕は死ぬかな」と毎晩思っていた。灯火管制下の真っ暗な中、B29が飛んでくると最初に照明弾を落とす。そえがものすごく明るい。すごく明るくなって毎晩そいつに睨まれているような気がしてた。そんな個人的な経験からあのいイメージが自然と出てきたのかな。」

 

ヴェンダース 「45年の歴史を見つめるということ、そしてその歴史が僕たちを見つめているんだということ。あの目は重要なメッセージを持っていると思いました。あれはご自身で描かれたものですか?」

 

黒澤 「コンテは描きましたけどね。実写なんですよ。コンタクトレンズを付けた目を何百カットも撮った。その中の1カットだけ、たまたまレンズがずれてグルっと回って、それがちょうどこちらをジロっと睨んでいるように見えたんですよ。」

 

ヴェンダース 「アニメーションかなと思っていました。」

 

黒澤 「編集の時、何カットも何カットも目を見るでしょ。あの目が出た時にドキっとしたんですね。それですぐこのカットだと決めた。そして、ハイビジョンを使って原爆雲の映像をダブらせたんです。」

 

 

 

ヴェンダース 「僕もい同じテクノロジーを使って次回作の『夢の果てまで』の編集をしていま。今回もそのために来日です。ご存じのとおりハイビジョン編集はとにかく時間が掛かります。」

 

黒澤 「まったくだね。『八月の狂詩曲』ではあの目のシーンとおばあちゃんとクラークが月を背景に立ち上がるシーンでハイヴィジョンを使った。見てるとなんでもなさそうだけど、ほんとに大変なのね。1コマ1コマやらないといけないし。」

 

ヴェンダース 「僕の映画では夢のシークエンスでハイビジョンを使っています。3時間30分ぐらいの作品の約15%の部分ですが、その編集だけでもう4か月ほど費やしました。普通の映画フィルムでは絶対に不可能なことができるんです。僕はいくつもの違うイメージを何層も重ね合わせて映像を作っているので、気が遠くなるほどの時間が掛かっています。」

 

自然のままじゃ自然は撮れない

 

ヴェンダース 「黒澤作品に描かれる、木々の美しさと雨のシーンは圧倒的だと常々思っていましたが、今回も雷に打たれた2本の木のシーンやラスの雨のシーンで黒澤映画の魅力が発揮されていました。映画史を振り返っても、黒澤さんほど美しく緑と雨を撮った監督はいないんじゃないかと思います。」

 

黒澤 「緑は本当に大変でね。自然のままじゃ美しく写らない。ライティングのスタッフが工夫していろいろやってくれているよ。本当に彼らは優秀だよ。」

 

ヴェンダース 「じゃあ、雨を作る専門家もいたりして。」

 

黒澤 「ええ、いるんですよ。達人がね 笑。」

 

ヴェンダース 「僕自身、いい雨の映像を撮れたことが無くて諦めちゃった。笑 少なくともいい雨の映像を撮るのが難しいことはよく知っていますけれども。」

 

黒澤 「本当に雨が降るとき、どうなるのかってのをよく考えろって言うのね。例えば、激しい夕立が来る前は突風が巻き起こって埃か舞って、雨粒が落ちてくる。まず、自然をしっかり観察すること。でも雨も緑も同じで自然のままだと写らない。『乱』のとき、本当の台風の中で撮影したんだけども、ちっとも写ってなかった。雨粒が肌に当たると痛いほどの雨だったのにね。だから、撮影用の雨を降らせなきゃいけない。」

 

ここで黒澤は雨を撮るための映画技術の事細かな説明を始める。

 

ヴェンダース 「とても貴重な情報をありがとうございます。こんなに丁寧に教えていただいて。」

 

黒澤 「なんでも聞いてください。歳もずっと上だし、いろいろ経験しているからなんでも答えますよ。」

 

ヴェンダース 「じゃあ、お言葉に甘えて、次は霧の場面の効果的な撮り方を教えてください。笑」

 

以下、延々と霧や雪のシーンの撮影方法論が展開され、ますます聞き方にも熱が入るヴェンダースであった。

 

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「映画のことはわからない」としか言えない

 

ヴェンダース 「昨年のオスカーの授賞式での「映画のことは何もわかっていない」という発言に感激しました。なんでも知っているようなフリをするのがこの業界の常ですからね。僕自身の経験でも映画を撮るたびに、新たな発明をするぐらいの努力をしないと映画はできない。」

 

黒澤 「たくさん映画を作りましたけど、「本当の映画になったなぁ」と思える部分は一本の映画の中に一か所か二か所しかないんですよ。それすらも映画とはこれだと言えるほどではない。だからあの受賞式の時も、わからないというしかなかった。」

 

ヴェンダース 「若い頃、画家を目指していたそうですね。僕自身もそうだったのですが、黒澤さんやフェリーニ監督の映画を観ると”絵描き”としての部分と”ストーリーテラー”としての二つの要素を感じます。二つの魂で映画を撮るような感覚はあるんですか?」

 

黒澤 「僕の場合はまず絵が見えるんです。『八月の狂詩曲』の原作『鍋の中』に入道雲を原爆雲と間違えて、雨の中を駆け出すおばあちゃんと、それを追っかける子供たちの姿が書かれていた。読んでると途端にその絵が浮かんできた。本能的に具体的な絵になって見えてきて、そこから映画が始まるんですね。何か言いたいことがあっても、どうやったら伝わるかという絵ははっきり?めないと、僕は映画は撮れないなぁ。」

 

ヴェンダース 「絵から入られるわけですね。編集もご自身でなさるんですか?」

 

黒澤 「ええ、全部。僕は早いんですよ。新作は時間の問題があったので、だいたい撮影が終わってから編集したんですけど、いつもはラッシュが上がるたびに編集してしまうんです。だから撮影が終わったころには編集もほとんど済んでいる。最後に残った分を再編集すればいいだけ。僕の撮り方は、カメラをたくさん使って長いシーンでも1カットで撮ってしまうので、役者やスタッフには何か起こっているのかわからない場合が多い。だからすぐに編集して見せて、彼らにもわかるようにするんです。ロケーションにも編集室を持っていくんですよ。」

 

ヴェンダース 「その都度、スタッフに見せてしまうんですか、それは興味深いなぁ。今回は『夢』のすぐあとにこの新作を発表されたので、81歳というお歳のことを考えると、製作のペースが早いなあと思っていました。」

 

黒澤 「それまで5年に1本の割で撮っていたから、『夢』の撮影が終わるとみんなが「ああ、これであと3年ぐらいは一緒に仕事が出来ないんだなぁ」と言っていたので、やってやろうかなぁと思ってね。脚本も17日間で書きました。」

 

ヴェンダース 「…」

 

黒澤 「僕は撮るのも早いんですよ。『どですかでん』も27日間で撮ったし。」

 

ヴェンダース 「うそー!!」

 

黒澤 「スタッフがみんな僕のことをよく知っているから、たとえばカメラマンに「あっ」と言って目を見ると、「はい」と応えて思ったとおりのことをやってくれる。時々、ほんとにわかったかなと思うんだけど、いつもちゃんとやってくれる。みんなが歳をとってきたので、身体を壊さないで元気でいて欲しいなと思うだけですよ。」

 

ヴェンダース 「ご自身より年上のスタッフもいますか?」

 

黒澤 「今はいませんね。年長者は僕より一歳年下かな。カメラマンも60歳なんだけど、若いころからずっとやっているからいまだに「坊や」って呼んでる。笑」

 

ヴェンダース 「映画は健康的な職業なのかな。」

 

黒澤 「そうですね。実際に仕事している時が一番体調がいいですしね。よく食べよく飲みよく眠るし。」

 

ヴェンダース 「撮影中もよく眠れるんですか?」

 

黒澤 「ええ、よく眠りますよ。撮影中は毎晩、役者たちといっしょに?んでいますから、そこで話が盛り上がってそこで演出してるようなもんですね。」

 

ヴェンダーズ 「撮影中、僕は全然眠れないんですよね…」

 

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撮影現場が一番好き

 

ヴェンダース 「映画を製作する上で、どの過程が一番好きですか?脚本、撮影、編集などいろいろありますが。」

 

黒澤 「やっぱり撮影が一番だね。」

 

ヴェンダース 「そんな人はきっと世界に一人しかいませんね。」

 

黒澤 「そうかなぁ」

 

ヴェンダース 「僕は編集が一番好きです。後はロケハンのの為に旅をしている時が楽しい。」

 

黒澤 「僕はロケハンの時にはね、場所ももちろんだけど、美味しいものを食べさせるところがあるかどうかも探しているのでね。笑 」

 

ヴェンダース 「『乱』なんか見てるといいレストランなんてなさそうな場所ですけどね。黒澤さんはドイツでは絶対にロケできないですね。」

 

黒澤 「ええ、ドイツ料理はなかなか難しいですね 笑。実は日本もいいロケ場所がどんどんなくなっていてね。じきに日本を撮るためには海外に行く必要が出てくるかもしれません。例えば川なんかも自然の川はほとんどない。『夢』の水車シーンを撮った場所を探すときも大変でしたよ。」

 

ヴェンダース 「あの川は自然のままでも、水車は作ったんでしょう?」

 

黒澤 「ええもちろん。ところであのシーンに登場した笠智衆さんは『夢の果てまで』に出てるでしょう。彼はどうでした?」

 

ヴェンダース 「素晴らしい方でした。じつは偶然にも僕の作品でも笠さんは水車のシーンで登場するんです。だから、最近は水車の前でばっかり演らされるなぁと苦笑いしてました。僕は箱根の旅館で撮影したんですが、実際そこに泊まって仕事が出来たので楽しかったですね。今回は世界中を回って6ヵ月間ほど撮影したのですが、ほとんどがホテルでの生活。だから、この箱根での2週間がもっとも快適な時間でした。」

 

黒澤 「映画を一本撮ると、インタビューがたくさんあるし、それから5月にカンヌに行ったりする。それが終わらないとね。前の作品を忘れないと次に行けないから。もちろん次回作のアイデアはありますよ。」

 

ヴェンダース 「僕は今年はカンヌにはいかないつもりなので、お目に掛かれないのが残念です。『夢の果てまで』を出品する予定だったのですが、仕上がりが遅れて。秋の日本公開にの時にはまた来日します。その時は映画の方もご覧になってください。」

 

黒澤 「ええ。今度はいっしょに旨いものでも食べに行きましょう。本当に今日は楽しかった。」

 

※河出書房新社 生誕100年総特集 黒澤明 永久保存版より

 

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