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虎の尾を踏む男達
完成後7年間もお蔵入りとなっていたいわくつきの作品である。
東宝の前身であるP・C・Lに入社した黒澤は、主に山本監督につき榎本健一(エノケン)主演の喜劇映画の助監督を数多く務めた。
その現場で喜劇の撮り方や役者の使い方を、自分のものとして習得したことが見られる作品。
本作オリジナルの登場人物として、強力役にエノケンこと榎本健一をキャスティングしたことで、大河内傳次郎の重々しい演技が象徴する義経一行の悲壮感の中に、滑稽味が加わっており面白い作品に仕上がっている。
また能の地謡にあたる部分を洋楽のコーラス風にアレンジしており、ミュージカルとしてもパロディーとしても十分鑑賞に耐えうる作品となっている。
当初この作品は、桶狭間の合戦をラストシーンとした「どっこい、この槍」として企画された。
ところが、撮影に必要な馬が調達できなかったので、急遽代わりの企画として、能の「安宅」と歌舞伎の「勧進帳」を元に脚本を書いた。
それが、敗戦直後はまだ残っていた内務省の検閲で、日本の古典芸能を改悪、愚弄するものとされ、撮影中の日本映画について、占領軍に提出する報告書から削除された経緯がある。
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検閲官の1人はこう質問した。
「この”虎の尾を踏む男達”という作品は何事だ。日本の古典芸能である歌舞伎の「勧進帳」の改悪であり、それを愚弄するものだ」
"何事だ"という文句の付け方は戦争中のセリフである。
アメリカに負けてすぐの時とはいえ、まだ威張るのがやめられないのだ。黒澤はどこが愚弄になるのか、具体的に指摘してもらいたいと質問する。
検閲官たちはしばらく黙っていたが、やがて一人が言った。
「勧進帳にエノケンを出すこと自体、歌舞伎を愚弄するものだ」
「エノケンは立派な喜劇役者です。あなたの言葉は立派な喜劇俳優、エノケンを愚弄するものです。喜劇俳優は悲劇俳優におとるのですか?」
「とにかくこの作品をくだらない。こんなつまらないものを作って君どうする気だ」
これを聞いて黒澤は怒りを爆発。
「くだらん奴がくだらんという事は、くだらんものではない証拠で、つまらん奴がつまらんということは大変面白いということでしょう」
と言い放って席を立ち、帰ってしまった。※1
おすぎが語る『虎の尾を踏む男達』の魅力
「黒澤さんの映画が何か面白いですか?」という話になると、普通の人たちは『赤ひげ』までの作品を言いますよね。だけど、いちばん黒さんがすごいと思うのは、昭和20年に『虎の尾を踏む男達』というのを作りますよね。
私は『酔いどれ天使』もすごい好きだし、『野良犬』も好きだし、もちろん『蜘蛛巣城』も好きだし、『隠し砦の三悪人』『用心棒』『椿三十郎』『七人の侍』もみんな好きだけど、ベストワンと言ったら、『虎の尾を踏む男達』じゃないかと思うんです。
私のベスト3はそれと『酔いどれ天使』『デルス・ウザーラ』の三本なのね。それとプラス『七人の侍』を見ると、黒澤明という人がわかるような気がするんですけれどもね。
『虎の尾を踏む男達』は58分の映画なんだけど、戦争が終わってなだ何もなかった時。その時代に大河内伝次郎さんを弁慶にして、藤田進を富樫にして、その中に榎本健一さんが演じる雑兵みたいな強力、今で言えばアルバイトの荷物運びを配して『勧進帳』を撮った。
そういうことを考えて、なおかつ義経の逃避行を全く第三者の目で見て、最後にエノケンに六方を踏ませて退場させる才気というのは、すごいものですね。今ビデオで見ても全く古く感じないの。私はそこに黒澤明という人のい原点を見ます。
河出書房新社発行 「黒澤明 生誕100年総特集」より引用
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井上陽水が語る『虎の尾を踏む男達』
この映画を私が初めて観たのは15年程前のテレビだった。民間放送であったのか、「メガネのパリ ミキ」などというセリフを、妙に鼻の大きな白人女性が言って、視聴者の優越から起こる笑いを誘おうとするスポンサーの思惑が露骨なCMの入ったそのビデオは、現在でも私の手元に残っていて、おそらく当時の新聞のテレビ欄で黒澤映画の放映を知り、「虎の尾を踏む男達」というタイトルにも惹かれて、録画したものと思われる。
テレビ局としては年末年始の深夜に、滅多にに見られないものを、今夜は特別にお目にかけようといったところだったのだろう。
この映画を製作する以前に黒澤明は「どっこい、この槍」というタイトルで脚本を書き、大河内伝次郎、榎本健一を起用しての、映画化の準備を進めいたらしいが、ラストシーンで想定されてた「桶狭間の合戦」での撮影に必要な馬を集めることが戦時下の日本では不可能と知り、その企画を取りやめて急遽、『虎の尾を踏む男達』の脚本にとりかかっている。
能の「安宅」、歌舞伎の「勧進帳」をもとに黒澤明はこの脚本のあらましを2,3日で仕上げたという。
山伏姿の大河内伝次郎が最初にクローズアップされるときの、彼の坊主頭にも目を奪われた。明治の末期に、福岡は豊前で生まれたという大河内は当時の質実剛健の気風の中で育ち、子供のころから太陽の光を十二分に浴び、野山を駆け巡っては怪我をしたり、また悪童として、さんざん拳骨で殴られたのではないかと思わせるような、野生のジャガイモを連想させる頭の形をしている。
平成の世となってからは滅多に目にすることが出来ないであろう、大河内伝次郎の後頭部が今となっては歴史の証言者となって、現代に生きる我々に多くのことを語りかけてくる。
昭和20年代までに製作された日本映画は、当時の撮影や録音機材、技術やフィルムやその保管などに問題があって、目にする折があっても残念な思いをすることも多いが、この作品では例えば大河内伝次郎が扮する弁慶の眉をとらえた映像などに象徴されるように、際立ったコントラストが美しい。
榎本健一の好演は、すでに多くの評論で語られているところで、黒澤もかねてから山本嘉次郎監督作品に幾度か出演していたエノケンを、助監督としてつぶさに観察していたからだと、当然のこととして語っている。
河出書房新社発行 「黒澤明 生誕100年総特集」より引用
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『虎の尾を踏む男達』で見せたキャスティングセンス
映画批評 轟由起夫
河出書房新社発行 「黒澤明 生誕100年総特集」より抜粋
即座に思い当たるのは、いつしか彼が魅力的なコメディ・リリーフを造形しなくなってしまったという事実だ。黒澤が最初に明確にそのようなキャラクターを自作で押し出したのは、GHQより上映禁止を食らった『虎の尾を踏む男達』だろう。
関所を突破するために山伏に化けた義経と弁慶のおなじみのストーリー。これにPCLの助監督時代からつきあいのある喜劇王エノケンこと榎本健一に荷物運びの「強力」を演じさせ、歌舞伎「勧進帳」の権威主義を笑い飛ばし、相対化してみせたわけだが、理不尽にも検閲官に呼び出された黒澤は、「勧進帳にエノケンを出すこと自体、歌舞伎を冒?するものだ」との一言にキレた。
「それは可笑しい。エノケンは立派な喜劇俳優です。それが出演しただけで、歌舞伎を愚弄にしたことになるという言葉こそ、立派な喜劇俳優のエノケンを愚弄するものである。喜劇は悲劇に劣るのですか。喜劇俳優は悲劇俳優に劣るのですか。ドン・キホーテのお供にサンチョ・パンサという喜劇的人物がついていて、なぜ悪いのですか。」
『虎の尾を踏む男達』のラスト、エノケンの涙が出るほどかっこいい飛び六方を撮った黒澤明がいる。以後、喜劇役者に限らず、数多の怪優、素人、個性派を起用していくことになるのだが、エノケンのごとく物語に揺さぶりをかける”遊軍”ともいうべきコメディ・リリーフを常に主人公に傍らに置いてきた。
そして時には主人公よりも忘れがたいキャラクターを造形してみせた。だがそういった野心的な試みが、キャスティングの冒険が、徐々に黒澤の狙いと観客との間でどこかズレてしまったのは否めない。
サブキャラクターがサンチョ・パンサになるわけでもなく、与えられた役割以上の魅力をなかなか発散できなくなってしまったのだ。その兆候は『影武者』での失敗、いやいや、もう勝新太郎のことは言うまい。にしても『夢』の「鬼哭」で核戦争後の世界に生き残り、突然変質の人食い鬼役をあてがわれた、あのいかりや長介はないだろう。これはひどかった。正直言って「ダメだこりゃ」である。
まったくをもって彼である必然性が感じられなかった。コメディアンが悲劇的キャラを演じるという反語的な効果さえ出せなかったのだから。翻ってそれから8年後、奇しくもいかりや長介をベテラン刑事役に起用した『踊る大捜査線』がテレビや映画でその姿をどれだけ魅力的に描いたか。役者にしてドリフターズのリーダーだった彼に、どれほどリスペクトをささげていたのか…。
もちろんわかっている。世界のクロサワにドリフ世代の怨み言を浴びせるのが根本的に間違っていることぐらいは。ましては『夢』の時と今日では、いかりや長介だった別人だ。人間は歳と共に変わっていく。黒澤はこの世を去っているのだ。いまさらこんな与太を飛ばしても不毛なだけだろう。
制作:伊藤基彦
脚本:黒澤明
原案:「安宅」「勧進帳」
撮影:伊藤武夫
美術:久保一雄
照明:平沼岩冶
音楽:服部正
出演:大河内傳次郎 藤田進 榎本健一 志村喬 森雅之 岩井半四郎
ウィキペディア フリー百科事典「黒澤明」より引用
河出書房新社発行 「黒澤明 生誕100年総特集」より引用
脚注
※1 文藝春秋発行 小林信彦著書 「黒澤明という時代」より抜粋

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