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能・狂言と黒澤明
伝統芸能の役者でありつつも、常に新しいアプローチを模索し続ける狂言師・野村萬斎。
伊藤英明とのコンビで大ヒットを記録した『陰陽師』や日本アカデミー賞10部門受賞した『のぼうの城』など、ヒットを放てる数少ない伝統芸能人。
2020年開催の東京オリンピックでは総合演出を任され、グローバルなフィールドでの活躍が期待されています。
以下は彼が映画初出演となった黒澤作品『乱』のエピソードや、黒澤の能や狂言観について、語ったロングインタビューです。
野村萬斎ロングインタビュー
『乱』の鶴丸役で出演
私が「野村武司」という本名で黒澤監督の『乱』に鶴丸役で出演させて頂いたのは、まだ17歳の時でした。
『影武者』の頃になると思いますが、黒澤監督が喜多流の能を中心とした能の映画を、スタジオで撮られるというお話があったことは伺っておりました。
そのい企画が絶ち消えになって、詳しい事情は知りませんから当て推量ですが、
そうした構想を踏まえておそらく『乱』を撮るという発想に引き継がれたのだろうと思います。
ですから、『乱』では能や狂言の様式を使うということがあったわけですね。
うちの父、野村万作が狂言の指導をしているわけですし、あの作品は戦国時代に『リア王』を移植したということで、
3姉妹が3兄弟に置き換わるわけですが、西洋の『リア王』では道化が侍る。
その道化の役をどうするか、まさか侍文化に道化というのは存在しないから、
狂阿弥という、大名衆が抱えていた狂言師というような役どころを設定して、その役にピーターこと、池畑慎之介氏が選ばれたわけです。
狂阿弥は秀虎という主人公に一番近い、ある意味ではプラス思考の楽天性を表す人間。
で、その対極をなす、怨みの念を抱いている人間のマイナス面として、能的なイメージの盲目の少年・鶴丸が配されたのかな、という気もいたしました。
鶴丸という役に関しては、黒澤さん自身が能の『弱法師』であるとか、『蝉丸』とかいう作品、
そういう作品には盲目の少年が出てきますので、それをイメージされていたらしくて。
多くを語ったり演技したりするよりも、様式美というか、確固たる存在感、秀虎という主人公に対して怨みを抱きつつも、
非常に大きな意味を担う存在として、秀虎を発狂させる起爆剤になる人間としての存在感をもたせるためにも、普通の子では使えないと思われたんでしょう。
能役者の方々からいろいろ探されていたらしいんですが、イメージにかなう人が見つからなくて。
そこで狂言指導していた父に相談があったとき、黒澤さん自身が私を気に入ってくださったようなんです。
最初は十歳くらいに設定されていた少年ということだったらしいんですけれども、私がいいということになって。
そのとき私は17歳ですから、もう少年というわけではないんですが。
その代わり存在感を気に入っていただいたことから、逆にただ単にいるだけじゃなくて、ひとつの役どころとしてセリフも頂いたという、
そういう途中の変更があったようでございます。
やはり『乱』の中で、楓という原田美枝子さんが演じられた役などは、能の『葵上』に出てくる六条御息所のイメージといいますか、
「泥眼」という面を意識した、非常に高貴なんだけども、怨みをたたえた顔のイメージというのが、絵コンテの段階から強くだされていました。
その意図を踏んで衣装を担当されたワ・エミさんも能装束を使われたということは、当然あると思います。
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『乱』と『蜘蛛巣城』の違い
『乱』の場合では、そういうどちらかというとデザイン上のこと、美意識的なことで、能から来ている傾向はあるのかなと思います。
が『蜘蛛巣城』の方は、能の持つ原理的・構造的な部分が出てきましたね。
実は僕は『蜘蛛巣城』はずっとみたことがなくて、イギリスに1年留学している間にやっと見たんですけれども、
これまでで一番面白いシェイクスピアの翻訳作品だと思いました。
デザイン的には、『乱』が能的なのに対して、『蜘蛛巣城』はわりと狂言のデザインを使っているんですよね。
『乱』は功成り名遂げた、多少成金的な武将の装束だから、能的な豪華さで。
『蜘蛛巣城』の原作『マクベス』の方は、もっと土俗的で、豪族的な粗野な世界ですから、あまり豪華というふうには、こしらえない。
白黒作品ということもありますが、それよりもデザインの面白さ。
主人公のマクベスに当たる三船敏郎さんはムカデの紋章の旗差し物をしていた、バンコーに当たる千秋実さんは兜の旗差し物。
それらは野村の肩衣の衣装デザインをそのまま採っていたり、そういう細かいところでも狂言が意識されていると思います。
山田五十鈴さんの落ち着いたたたずまいというのが非常に能的なのに、三船敏郎さんが非常におどおどしていて狂言的。
どちらかというと、道化な形でマクベスがいますよね。
その存在の違いを見せる。それは、狂言と能の表裏一体性みたいなものとダブらせているような気がすごくいたしました。
『蜘蛛巣城』の原理的な性格ですが、能・狂言の中に「序破急」という概念があります。
テレビじゃなくて、映画館という上映が終わるまで抜けられないという状況の中でお客さんに我慢を強いることができる。
その我慢の強い方が序破急と言ってもいいかもしれないし、単純に言うと、エネルギーの発散の仕方、作品のボルテージの上がり方が序破急と言ってもいい。
冒頭の、馬を駆りながら霧に巻かれて右往左往している場面なんか、きっと今のテレビ的な時間感覚では耐えられない長さですよね。
でも、あの長さを映画館で強要して恐怖心を掻き立てる。観客もいら立ってくる。まさに劇としても、あそこでいら立たせる。
そのあとに『黒塚』とか『安達原』と言われる能の鬼女のイメージをまとった魔女が出現して糸車を回している。
糸車を回すというのも、歳をずっと経てきて時を紡いでいるというイメージも当然あるし、鬼女という存在が時の経過が持つ意味を教えてくれる。
それは能の手法をまったく忠実に取り入れています。
霧のシーンの時間のかけ方とか、そういうところに非常に「タメ」があって、その後からの急転直下。
『羅生門』の冒頭でも、志村喬さんが走るようにぐるぐる行くところなんかでも、最初はなんだかよくわからない。
とにかくカメラが追っかけるように走っていって、どうなるんだ、どうなるんだ、と不安にさせる。
そういう意味では、わざとフラストレーションをを与えていき、みんなの中でエネルギーが逆にフラストレーションの形で溜まってくるわけですね。
そのエネルギーをいかに開放するか。
それが一種の序破急という考え方だとすると、『蜘蛛巣城』だったら、最終的には急転直下の大どんでん返し締めくくる。
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能や狂言の中にある”序破急”という構成
『羅生門』にしても、だんだんテンポがあがってくる。
そこらへんは、頭で黒澤さんが理解しているというよりも、彼の感性が序破急的なものに、非常に影響を受けていたんじゃないかと思います。
娯楽の乏しい戦時中、黒澤さんは若くして能楽堂に頻繁に通ってらしたそうです。
そこでの感動のエネルギーとか、見る者の感動の盛り上がり方を強く意識して、いろいろな作品をお撮りになったのではないか。
だから、割合最初はゆったり始まって、最後は噴き上がるようなクライマックスを迎えるのでしょう。
『椿三十郎』にしても、最後に激しく血を噴き出す。
そこまでずっと、みんなの血流がどんどん膨れ上がって血管が破裂しそうなくらいまで緊張が高まっていって、最後にあそこ血が噴き出る。
そこでみんな、その一瞬の勢いに打たれて、一緒に飛んで行ってしまう。それは、能や狂言の中にある序破急という構成にも通じるようにおもうのです。
『乱』のテストは、鶴丸がいる夕日のシーンですが、うまく夕日が撮れず、雲の形が悪いと言って、監督は途中でお帰りになっちゃった。
そうすると、その日朝から100人ぐらいスタッフがいたんですけれども、そのまま一日がおじゃんなんでよね。
その一日の人件費とかを考えると、一体いくらのお金がそこで飛んだのかということなんだけれど…
やはり序破急の、ラストシーンのそこにかけないと。
細部にこだわる完璧主義というのは、そういうことだと思います。
『乱』の中で、狂阿弥がどうして狂言師かというと、黒澤さんは狂言の中の謡を憶えているんですね。
それを使いたいと明らかに思っていらっしゃいます。
能・狂言から採ったアイデアを、いつか使ってやろうと思っていらっしゃったんだと思うんです。
例えばピーターさんが『乱』の中で、秀虎の長男・太郎をからかって「兎」という謡をうたいますね。
あれは狂言から採っている。
その後の『夢』の中の「狐の嫁入り」なんかも、うちの父の『釣狐』のビデオでずいぶん研究されたようです。
監督は、常に使ってやりたいという思いがあって、きっと若い頃ご覧になった謡をたぶん耳で憶えてらっしゃったんでしょう。
そうじゃなきゃ、わざわざ調べてそれを持ってくるというのはなかなか出来ないと思うのです。
謡自体にそんなに意味はないんだけれども、酒宴の席なんかで、非常に意味のある効果的な使い方ができるな、ということを、きっとどこかで思い留めてらっしゃったんだと思います。
それから、例えば能でいうとワキの前でいろいろ罪人が出てきて自分をの述懐したりするんですが、そういうひとつ離れた、僕の印象では、わりあい醒めた目もお持ちのような気がします。
例えば、『野良犬』の最後の面会室で語るところとか。能ではワキというのはお坊さんですから、ある意味では仏の視点とも言えるわけで、ちゃんと聞いてくれ、かつ上の方からものを見ている、という感じですね。
僕は古典芸能の役者ですが、海外で黒澤さんが「世界のクロサワ」となぜ評価されるかというと、
日本のアイデンティティをちゃんとお持ちで、それを表現することが出来たということだと思います。
例えば『マクベス』を新劇みたいな形でやって海外に持っていっても、なんだこれはということになっちゃいますよね。
蜷川幸雄さんも世界的に評価されるのは、日本的なアイデンティティを表現して、しかも題材として海外のものを消化しきっている。
猿真似だったり、単なるジャポニズムじゃないこと。
ぼくら古典芸能の役者が「世界」というものを目の当たりにしたときに、狂言は日本のものですから日本だけで理解されればいいということじゃなくて。
その日本での狂言の感性が世界にも通じるんだということを、これだけ狂言の要素が感じられる映画を作って世界に知らしめていただいたことを感謝しています。
そういう意味でも素晴らしく、僕らにとっても憧れの人で、映画界に留まらず、アーティストとして発信できる力がおありだった。
私自身にとっても、狂言を継承していくというのは、狂言を発信していくということですからね。
あと、できることなら黒澤版『ハムレット』というものに出てみたくもあり、観て見たかったという気がいたしております。
※4 河出書房新社発行 「黒澤明 生誕100年総特集」より抜粋
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