三船敏郎 酔いどれ天使でヤクザを演じ人気爆発!

三船敏郎に惚れた黒澤明

三船敏郎の衝撃デビュー作「酔いどれ天使」は、山本嘉次郎監督の「新馬鹿時代」で組まれた闇市のセットが大掛かりだったので、解体する前にもう一本撮っておきたいという都合から製作されることとなった。

 

「日常性を描くなんて、もうごめんだね。俺の今やりたいのは逆に日常性の中からカアッと飛躍し燃焼する、その情熱の軌跡を追いたいんだ。ギラギラして膨大な悪のエネルギーがたぎっている闇市の世界を強烈に描き切るためには、やはり、特攻隊上がりの、肩幅が広くて、いなせで、しなやかな野獣のような男でないといけない。チンピラなんかじゃバイブレーションが弱い。三船だよ、なあ本木?」

 

とプロデューサーの本木に語る黒澤。

 

「酔いどれ天使」は公開当時から大ヒットし、映画ファンを熱狂させ、街のチンピラがこぞって劇中での三船のスタイルを真似たという。地なのか演技なのかわからない三船の存在感。

 

「三船って男が出現したんで、最初の考えがひっくりかえっちゃったという写真(映画)でね。三船の松永って役がグングンのしてきちゃうのを、僕はどうしても抑えきれなかったんだ。もちろん最初は台本通り、医者が主人公だったんだが。」

 

共同脚本の植草圭之助はこう語っている。

 

「黒澤の家を訪ねて、脚本についての反省点を語ろうとすると、黒澤はこう言った。『とにかく多少の欠点はあっても、俺は三船に惚れて、あいつの素晴らしい個性と格闘したことで、自分としては姿三四郎以後のなにかモヤモヤした壁を突き破れそうな感覚でいる。』と立ち上がり窓をあけた。」

 

『酔いどれ天使』三船の出演ギャラ

デビュー作『酔いどれ天使』の三船の出演ギャラは一万円で、それを知った黒澤は、新人だとしても安すぎると思い、背広を一着買って三船をプレゼントしたという。
感激した三船は、着用するたびに埃を払い、陰干しするなどして、大事に扱ったという。

 

黒澤監督が「その個性に参った」という言った三船敏郎は『酔いどれ天使』でキネマ旬報第一位に輝き、翌年には黒澤監督の『静かなる決闘』、谷口千吉監督『ジャコ万と鉄』、黒澤監督『野良犬』の3本に出演している。

 

『野良犬』はキネマ旬報第3位で、共演の志村喬が毎日映画コンクール男優賞を貰っているが、主人公の刑事を演じた三船の評価も高く、成瀬己喜男、木下恵介、山本嘉次郎、稲垣浩など、他の監督から出演依頼が続いた。

 

渋々東宝ニューフェイスに応募してから3年後、三船は東宝がスター候補のトップに推す俳優に成りあがっていった。

 

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黒澤明と三船敏郎の関係

黒澤の弟子の堀川弘通はこう語っている。

 

「クロさんと三船の関係は、クロさんが三船をエネルギーあふれる個性を利用したのか、逆に三船がクロさんを変えたのかどちらとも言えないが、クロさんが三船によってテンションが高い作品を創り続けたことは事実である。」

 

映画評論家のドナルド・リチーは「三船はこれまでに約120本の作品に出演しているが、その中で優れた演技を見せたのは黒澤が監督した16本だけだ」と言っている。

 

「静かなる決闘」ではデビュー以来ほとんどヤクザばがり演じていた三船に、役者としての幅を広げて欲しいという要望も込めて、黒澤は倫理観の強いインテリ医者役を用意し、三船は見事に演じきった。

 

「俳優は絶えず新しい役に取り組ませ、新鮮な課題を与えないと、水を与えない草木のように枯れてしまうんだ」という黒澤明。

 

三船は黒澤演出下で、作品ごとに違うキャラを見事に演じている。

 

 

「野良犬」については三船自身こう語っている。

 

「今度の役は新米の刑事さんです。この新米刑事はムキになって事件の解決へ飛び込んでいくのです。僕もただムキになってこの劇中へと飛び込んでいきました。これが僕の精一杯の力です。然し気持ちのいい精一杯です。」

 

「醜聞」を経て次作「羅生門」が思わぬ奇跡を巻き起こす。ベネチア国際映画祭で金獅子賞を獲得。アカデミー賞の最優秀外国語賞にも輝く快挙。

 

三船はこの「羅生門」についてこう語っている。

「黒澤さんが映画作家として確固たる地位を築いた作品ですが、私は役者としてままだまだ初年兵、今見ると、冷や汗脂汗が出てくる次第です。故人となった上田吉二郎さんはグランプリをもらったが、みんなは"シランプリ"と機会ある度に叫んでいました。検非違使をやられた加東大介氏も今はなく、かつての名作をみると、個性と実力のある役者が少なくなったことを寂しく残念に思います。」

 

「羅生門」を気に入ってベネチアに自費で翻訳と付けて送ったストラミジョリ女史は、戦前にイタリアから交換留学生として来日しており、京都大学で日本文学を研究していた。そのときに芥川龍之介に傾倒していたこともあり、この作品の出品に繋がった。

 

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