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映画の未来が心配
冬樹社「カイエ」1979年4月号より
武満 「早坂文雄さんがよくおっしゃってましたけど、これから撮影にかかるって時に、黒澤さんがこの映画はこの音楽のイメージだっていうことを言われるって。新しい映画を着想されるときに、音楽は何か力があるわけですか?」
黒澤 ありますね。例えば「赤ひげ」なんかは、ベートーベンの「第九」のあのテーマです。映画がエンドになったとき、これが高らかに聞こえてこなかったら、この作品は駄目なんだといって、スタッフのみんなに何回も聞かせました。《七人の侍》の時は、よくドヴォルザークの「新世界」を聞いていたな。もう、家でうるさがれるぐらい聞いていたな。ある作品をやる時は、何かを一生懸命聴いてるときが多いですね」
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武満 「このあいだ、フリッツ・ラングの「M」を観ていましたら、あれには特別な音楽は入ってないんですけど、口笛でグリーグのペールギュントの中の「山の上の殿堂」が流れて、その時にぼくははっと《白痴》のことを思い出したんです。僕は黒澤さんの映画でいちばん好きなのは実は《白痴》なんです。あれは何度も拝見しました。あの中で確かあの曲が使われてませんでしたでしょうか?久我美子さんがピアノで弾いていたように覚えています。」
黒澤 「そうです、そうです」
武満 「だいぶ昔のことで、うる覚えだったんですけれど。不思議なことに《M》を観たときに黒澤さんの映画を思いだしました。全く違うものなんですけどね。《M》はご覧になっているでしょうか?
黒澤 「観てますけど」
武満 「それでちょっとお尋ねしたいと思ったのは、黒澤さんの映画には比較的なんというか、善人というかある象徴的な人間像が出てくるように思うんです。そして、それと同時に悪人が出てくる。その悪人は僕らにはたいへん魅力的なんですが…」
黒澤 「それがね、悪人にもいろいろあるんでね」
武満 「黒澤さんがお好きな外国の監督というのはどんな…」
黒澤 「ジョン・フォードはまあ好きです。それからサタジット・ライちかトニイ・リチャードソンだとか、おおいうとこが好きですね。もっと見てなくちゃいけないんだけど、割といい作品でも、日本の場合はすぐ消えちゃうんですよね。あれがね、今、ぼくは一番怖いんだ。お客が一番いいものをよく判ってないような気がするんですよ。あんまりいい作品と思われないようなものに、すごくお客が入っていたりね。こういう状態を正常にもどすのが一番難しいんですよ。一般的に日本映画が墜落していくと同時に、お客さんの方もだんだん鑑賞眼ってものが退化していっちゃってるような気がしてしょうがないんだな」
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武満 「実際にこれは映画だけの問題じゃないでしょう。我々人間のより大きな問題じゃないかと思います。昔ですと文明が成熟して、そこに生じた人間環境のひずみが人間の創造力を誘発して、文化というものがいつも文明に抵抗しながら進んでいたと思うんですが、近頃は自然科学が進むと創造力がだんだん衰えていくっていう感じがするんです。ぼくはテレビそのものを決して否定はしないんですが、早朝から映画やったりしてですね。映画の真似ばかり。映画館の方はまた何本立てかでやったり、毎週新しいものが封切られて、しかも愚にもつかない作品ばかりで。こういう上映システムや会社と映画館の問題等に知らない間に映画作家たちは巻き込まれて、創造力は全く二の次でただ量産すればいいというような傾向はどうしようもないと思うんです」
黒澤 「なんか、映画ってものが立ち止まっちゃった感じがしますね。立ち止まっちゃったというか、急に回れ右してとんでもない方へ歩き出したという気がするな。まわれみぎも、元にまっすぐもどったのならぼくはいいと思うんだけど、変な袋小路へね、隅の方へ歩き出しちゃったということじゃないかと思うんです。今、映画の可能性を技術的に考えた場合、マグネチック録音でフォー・トラックを使えるわけでしょ。いろんな科学的な発展と同時に、それをちゃんと映画に取り入れて進んでいかなきゃならないのに、今の日本映画の場合だとまだ光学録音でね、常設館はぜんぜん整備されてない。ぼくたちは極限まで映画ってものを追求していきたいんだけれど、それが出来ない状態にあるんですね」
武満 「たとえば、東宝などの場合ですとそれなりのダビングシステムを持っていながら、しかも東宝は他の会社に較べて多くの常設館を持っている。しかし、その常設館のシステムはそういうダビングルームのシステムにはマッチしてなきゃいけないのに、一館一館違うんです。こういうことでは良心的な映画をつくると口では言っていても、ほんとの意味では良心的ではない」
続きはこちら 武満徹対黒澤明B「テレビは映画の敵ではない。映画もテレビの敵ではない」
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