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映画を愛し映画に愛されたスピルバーグ少年
スピルバーグがはじめてみた映画はセシル・B・デミルの「地上最大のショウ」という映画だったという。
父親がシンシナティに見に連れていってくれて、それから映画が大好きになった。彼はすぐに映画ファンになり、12、3歳ごろのときに、父親の8ミリビデオカメラを使って自主製作映画「ファイアーライト」を創る。
当時のスピルバーグ家は各地を転々としていた。コンピュータ・エンジニアの父アーノルドが稼ぎのいい勤め先を求めて転職するごとに、いつも転校生の辛い気分を味わっていたという。
そして家庭にもすこし問題があって、最終的には両親は離婚することになる。少年時代という難しい年ごろに、家に父親がいないという状況の過ごし方をこの頃に学んだと言っている。
街や家や学校が変わる理由は、ただぼんやりと納得するしかない。行く先々の学校では友達ができない。やっと仲良くなったとしても、突然の引っ越しが待っている…。
彼はまた、深刻ではないが、はっきりとわかるユダヤ人差別も経験していく。
「映画のもたらす自在さに、僕は夢中になってしまったんだ。ある出来事のシークエンスを想像する、2つの鉄道模型を使って撮った列車事故を、何度も何度も繰り返し見る。僕はこの世界を一変させる映画というメディアを通じて、人生観を変容させることが可能なのだと、気が付いたのだと思う。」
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ユニバーサル・スタジオ・ツアーでの出来事
18歳のある日、ロサンゼルスのカノガパークで親戚たちと夏休みを過ごしていたとき、スピルバーグはユニバーサル・スタジオをバスで巡るツアーに参加。途中のトイレ休憩で、バスが出発するのを売店の物陰に隠れて待っていたという。そして自分で思いのままにスタジオ内を見学して回ったという。
「僕はユニバーサル・スタジオの撮影所内にいたんだ。どうしたら帰れるかわからなかったけど、午後以降、いろいろなドアから出入りしていた。サウンドステージや編集室などをね。自分だけの撮影所ツアーをして素晴らしい時を過ごせたよ。」
と語っているスピルバーグ。
でも、閉園を過ぎても帰り方はわからない。とにかく電話を借りて家に電話しなければということで声をかけたのが、偶然にも映画ライブラリー館長だった。スピルバーグは館長に今日の出来事を話すと、館長は大笑いしながらも彼の行動に感心し、なんと彼に3日間のフリーパスポートを用意したのである。
そしてそのパスポートをフル活用して、撮影所の編集や音響編集やミキシングスタッフあたりの間では有名人になっていた。
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大学時代
大学での時間よりユニバーサル・スタジオでの時間に多くを費やして、ハリウッドでの映画作りを勉強していく。
大切なことは、広く一般受けする映画、撮影所の重役の目にとまるような映画を創らなければいけないということを認識するようになる。
そしてデニス・ホフマンという映画プロデューサー志望の男に出会い、「アンブリン」を製作。
そしてスピルバーグは、ユニバーサル内で絶大な権力を持つ製作部長ジェニングス・ラングと知り合い、その中を深める。スピルバーグは政治力に長けた人物に可愛がられることで、映画製作を約束されるのだった。
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